仙台育英(宮城)が1-6で倉敷商(岡山)に敗れた。序盤に走塁ミスが相次ぎ、4回までに7安打も1点のみと流れに乗れず。4回途中から登板した相手左腕も攻略できなかった。3年生は東北大会決勝(12日)の聖光学院(福島)戦に続く連敗で、高校野球生活が終わった。今春センバツ、夏の甲子園は中止になったが、3年生だけで戦った宮城県独自大会優勝を含め、「完結」のテーマは合格点。日本一の目標は下級生にバトンを渡した。

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仙台育英の田中祥都主将(3年)の真っ黒に日焼けした顔に、涙がつたった。甲子園に別れのあいさつをする直前、隣の須江航監督(37)から「ここまで苦しかったけれど、キャプテンとしてよくやってくれたな」の慰労の言葉。こらえきれなかった。「みんなの前では初めて。心に響いて泣いちゃいました。甲子園から一番近い場所から仙台に来て、1年間キャプテンをやらせてもらえて本当に勉強になりました」。主将として甲子園8強入りを導いた西巻賢二内野手(21=ロッテ)に憧れ、兵庫から宮城へ。同校では珍しい関西出身主将として、コロナ禍の苦境を乗り越えた貢献者でもあった。

3回には遊撃内野安打でチャンスを広げる甲子園初安打。「これが甲子園だと思えた。スタンドから見ていた景色よりも大きく感じました」。成長してきた選手を生かすチーム事情から、今冬は三塁から二塁にコンバートした。守備のうまい仲間と二人三脚で徹底的に二塁手の動きを習得。8回1死から二ゴロを本塁でアウトに。最後も遊ゴロを受けて併殺締め。「勝ちにいった最後の2試合(聖光学院戦、倉敷商戦)で負けて悔しいけれど、個人としては最高のプレーが出来たと思う」。涙を笑顔に変えて聖地を去った。

仙台出発前日の13日、約30分間のミーティング。同監督から「勝っても負けても交流試合がゲームセットになった瞬間が、みんなのプレーボール」と告げられた。かつて経験したことのない今春以降の現実を突きつけられ、戸惑いやストレスも感じた中での高校生活の日々。卒業後にどうプラスに転じられるかを、例年以上に願った言葉。この日戦った選手の中には昨秋ベンチ外からはい上がった選手もいるだけに、ここからの努力も未来につながることは全員が理解している。

田中も「後輩たちも1つの判断ミスが大きく流れを変える場所と気づけたと思う。自分はこれからも1、2年生が日本一になるためのサポートを続けていきたい」。今後は同じく最高学年で苦しんできた地元の小中学生のために運動会や文化祭など、仙台育英野球部が“実行委員”となって、コロナ感染予防対策を徹底しながら開催する計画もある。3年生にとっては日本一を封印し、自分たちの思いを残す「完結」作業が最終目標。まだまだ、続きがある。【鎌田直秀】