倉敷商(岡山)が12安打6得点と打線がつながり、仙台育英(宮城)に勝利した。主将の原田将多内野手(3年)は「今までやってきたことが全部出せました」と胸を張った。

チームは打球を飛ばす力をつけるため、OBで元阪神監督の故星野仙一氏にちなみ、1日1001回のスイング練習。「闘将というイメージ。梶山監督と同じように、1球に命を懸けたら勝てる、と言ってくれそうな先輩です」。18年1月に星野氏が亡くなってから、倉敷商は初の甲子園出場。大先輩にも白星を届けた。

今年は新型コロナウイルスの感染拡大に翻弄(ほんろう)されたが、原田は2年前にも苦難に直面。18年7月、原田の地元の倉敷市真備町が西日本豪雨で甚大な被害を受けた。緊急警報で避難したが、自宅は2階まで浸水。同校OBの父浩司さん(49)が、88年夏の甲子園出場で持ち帰った土も流されてしまった。野球をしていいのか-。自宅を心配する原田を励ましたのは、浩司さん。「すぐに練習して、ベンチに入れるように」。父の言葉で、原田は前を向いた。

被災後は倉敷商の近くに家族で住んでいたが、約1カ月前に真備町に戻った。地元の人々は口々に「頑張れよ」と応援してくれた。「終わってみたらあっという間だった。いろいろあったけど、最後に甲子園でプレー出来て幸せ者だと思います」。この日は5回に死球で出塁し、好機を広げて勝ち越しにつなげた。浩司さんが88年夏に挙げた「1勝」に並んだ。「同じ1勝なので、超えたとは思わないですが、全力プレーで少しでも元気になってくれたと思う」。この日、聖地の土は集められなかったが、プレーする姿が父へのプレゼントになったはずだ。【磯綾乃】