三島南高の甲子園初出場に、100年の歴史を彩ってきたOBたちからも歓喜の声が届きました。連載「センバツ高校野球初出場 三島南を語る」の第2回は、第7代OB会長の諏訪部孝志さん(62)、1958年(昭33)秋にエースとしてチームを東海大会初出場へ導いた土屋紀男(としお)さん(79)の話をお届けします。

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諏訪部さんは今回の吉報に「本当にうれしい。創部100年に、62年ぶりの秋季県4強、継続している子供たちとの野球交流会。それらがうまくミックスした」と声を弾ませた。自身の高校時代と比較し、「昔は先輩が怖く、野球をやらされている感覚だった。今は、大人が何も言わなくても自分たちで考え、みんなで刺激しあってお互いを高めている」とうなずいた。

地元の地域へ与える影響にも触れ「甲子園出場を決めて、歴史が変わり、地元の誇りになった」。コロナ禍で厳しい状況の中でも、応援を続けてくれる人々のためにも、聖地での選手たちの躍動に期待する。「物おじせず、精いっぱいできることをしてほしい。地元の人々にハツラツとしたプレーを見せてほしいですね」とエールを送った。

土屋さんも母校から届いた知らせに「先輩として、大喜びですよ」と表情を緩ませた。東海大会に出場した2年生の秋を振り返り、「当初、チームは県大会を棄権するはずだった」と明かす。大会前の58年9月、狩野川台風により地元が大きな被害を受けた。災害によりグラウンドは壊滅。野球部員も1人、命を落とした。土屋さんをはじめ、部員たちは行方不明者の捜索活動に従事。野球ができる状況ではなくなった。

県大会出場が幻になりかけたが、当時の校長の判断により、一転して出場した。十分な練習ができなかったが、快進撃を見せて準優勝した。東海大会は、1回戦で県岐阜商に日没8回コールドの2-5で敗れ、翌年夏も県大会準決勝で敗退した。甲子園には届かなかったが、土屋さんは「楽しく野球ができました」と笑った。

聖地への扉を開いた後輩たちへ「新たな伝統をつくってほしい」と期待を寄せる。現在は、70歳以上の選手で構成する「古希軟式野球静岡クラブ」の監督を務め、現役としてもプレーする。球児たちの活躍に刺激を受け、野球への情熱をさらに燃やす。