東北勢「8強」一番乗りを逃した。4年ぶり18度目出場の日大山形は、4-5で石見智翠館(島根)にサヨナラ負け。8年ぶりの準々決勝進出とはならなかった。「5番右翼」で先発の塩野叶人(かなと)外野手(3年)が、1-2の7回に一時逆転となる適時打を含む3打点の活躍で、最終学年の意地を見せた。夏の山形大会前には13年夏に4強入りした同校OB・阪神中野拓夢内野手(25)から打撃マシンが寄贈された。目標に掲げた「日本一」という結果で恩返しすることはできなかったが、甲子園では計3試合で29安打をマーク。持ち味の打撃を聖地で存分に発揮した。

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無情にも打球が中堅へと抜けていく。日大山形の夏が終わった。9回1死三塁。3番手の大類興雅(こうが)投手(2年)が、サヨナラ打を浴び、歓喜に沸く石見智翠館ナインとは対照的に選手らはその場で泣き崩れた。ここまでチームを引っ張ってきた、佐藤拓斗主将(3年)は涙をこらえながら甲子園を後にした。

佐藤主将 正直、整理はついていない。何かが足りなかった。この舞台(甲子園)を目標に、仲間と毎日練習して頑張ってきたので、終わってしまったという気持ちです

3年生クリーンアップが意地を見せた。1-2の7回2死から3番佐藤主将が中前打で出塁。4番伊藤翔海外野手も中前打で続く。一、二塁の好機で5番塩野に打席が回った。「つないでくれたので、みんなのために打つという気持ちだった」。カウント2-2の5球目。外角直球を逆らわずに振り抜いた。打球は右翼線へ転がる逆転適時三塁打となった。「よっしゃー」。三塁上で右の拳を突き上げ、喜びを爆発させた。「うまく飛んでくれた。甲子園はどの球場よりもやりやすくて、とても楽しい場所だった」。

先輩の思いも胸に秘め、夏を戦い抜いた。同校OBで13年夏に4強入りを果たした阪神中野から夏の山形大会前の6月に打撃マシンが寄贈された。塩野は「いろいろな球種やスピードも変えられて、良い調整ができた。甲子園出場にもつながった」と感謝の言葉を口にした。だからこそ、目標に掲げた「日本一」で恩返しがしたかった。それでも、米子東(鳥取)との初戦から計3試合で29安打を放つなど、阪神で活躍する先輩に負けじと「強打の日大山形」を体現した。

夏の甲子園敗退は、新チーム始動を意味する。今大会を通じ、攻守で躍動した背番号6の大場陽南斗(ひなと)内野手(2年)をはじめ、下級生3人が残った。佐藤主将は思いを後輩に託した。

佐藤主将 甲子園は目指して間違いのない場所だった。(下級生の)3人がいなかったらこの場所には立てなかった。もう1回目指してやってほしい

3年生が最後まで貫いた日大山形のモットー「熱く・泥くさく・粘り強く」は、東北勢悲願の大旗白河越えのため、これからも引き継がれていく。【佐藤究】

▽日大山形・荒木準也監督(49、3回戦で敗れ)「選手たちを勝たせてあげられなくて残念です。選手の頑張りがあり、甲子園で3試合やれたのは非常にうれしく思いますし、去年、卒業した3年生のためにも、甲子園の舞台に立たせてくれて率直に感謝しています」