山下智茂名誉監督(77)の長男で、5月末から監督代行を務める星稜・山下智将部長(40)が涙の優勝を勝ち取り、3年ぶり21度目の甲子園に導いた。

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1点リードも一打同点の9回2死二塁。左前打で同点を狙った走者を星稜の津沢泰成外野手(3年)が本塁好返球で刺した。劇的な幕切れに星稜ナインは喜びを爆発。山下監督代行はベンチの奥で泣いていた。「ホッとしています。本当によく粘った。我慢して、よくまとまってくれた。感謝したい」。今までとはひと味違う優勝をかみしめた。

先発マーガード真偉輝(まいき)キアン投手(3年)が2回までに3失点。だが、2回に犠打をはさむ5連打で追いつき、3回に津沢の左前打で勝ち越した。エース右腕は立ち直り、7回途中から武内涼太投手(2年)が好救援で締めた。

センバツまで指揮を執った林和成氏(47)に代わり、4月に就任した田中辰治監督(45)が5月下旬から体調不良で休養。山下部長が監督代行で緊急登板した。19年春も監督代行で北信越を制した経験があるが、今回はチームに与えた動揺も大きかった。「足を引っ張らないよう、選手のいいところを伸ばそうと」。一方で「今の3年生をずっと見てきた」自負もあった。

父智茂さんからは毎試合後、短いメールが届いた。球場で優勝を見届けてくれた父から「よう我慢した。頑張ったな。ありがとう」と感謝された。関係者によると、甲子園大会までは指揮を執ることが濃厚だ。

19年夏に全国準優勝したが、20年は甲子園大会が中止され、21年は石川大会を涙の途中辞退…。主将の佐々木優太捕手(3年)は言った。「僕らの代は先輩の思いも背負っていた」。8強入りしたセンバツとはひと味違う星稜が、甲子園に帰ってくる。【柏原誠】

◆山下智将(やました・としまさ)1981年(昭56)8月17日、金沢市生まれ。星稜では2年夏に控えの内野手で甲子園に出場。3年時は主将。専大では準硬式でプレーし、卒業後は専大付(東京)でコーチ。金沢星稜大の事務職員を経て11年に星稜に教員として戻った。13年から野球部部長。保健体育教諭。既婚。

▽星稜・津沢(3回に決勝の左前打。9回2死の守備では本塁への好返球で勝利を決める捕殺) 前の回に自分が本塁でアウトになっていたので、飛んできたら絶対刺してやると思っていました。

○…小松大谷が因縁対決に敗れた。1点を追う9回1死から4番吉田創登(そうと)内野手(3年)が二塁打。2死後、井上蒼太内野手(3年)の左前打で本塁に飛び込んだが、間一髪アウトで2年連続甲子園の夢が散った。吉田は「惜しくても負けは負け。勝ち切れなかった」と号泣。星稜には14年夏の決勝で9回に8点差を大逆転されてサヨナラ負け。翌15年夏の準々決勝は9回に4得点で逆転サヨナラでリベンジ。だが19年夏の決勝は同点の9回表に満塁弾を浴びて敗れた。毎回劇的なライバル物語。新チームで借りを返しにいく。