札幌大谷が知内を7-2で下し、創部14年目で夏初の甲子園出場を決めた。プロ注目の最速148キロ左腕、森谷大誠投手(3年)が9回5安打2失点完投。打線も5戦連続2ケタ安打となる13安打を放ち勝利した。18年には2メートル左腕の巨人・阿部剣友(当時196センチ)らを擁し明治神宮大会初出場初優勝。今回は172センチ、82キロと上背はないがパワフルな投球が売りの好投手森谷と、札幌地区含め6戦計93安打64得点の破壊力ある打線を武器に、夏1勝を狙う。

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真っ青な札幌円山の空に、全員で人さし指を突き上げた。9回2死一、二塁。札幌大谷エース森谷は最後の打者を三ゴロに打ち取ると、まずは真っ先に駆け寄った三塁手の飯田と抱き合った。「安心した。うれしさがこみあげてきた」。次々とマウンドに集まる仲間と体をぶつけ合い、目いっぱい、雄たけびを上げた。

痛みに耐え、最後まで投げきった。3四球を与え1失点した4回終了後ベンチに戻ると「ストライクが入らない」と弱音を吐いた。表情にも覇気がなくなっていたが、船尾隆広監督(51)、五十嵐大部長(35)、浜野主将から「大丈夫。まだ2安打しか打たれていない。大丈夫だ」とゲキ。森谷は「みんなの声で開き直れた」。6回1死では投ゴロが左手親指付け根を直撃。苦悶(くもん)の表情を浮かべて、いったんベンチに引き上げた。6分の治療を受け戻ると「ボールが当たった後は余計な力が抜けてスイッチが入った」と7回以降、走者を許すも無失点に抑え、王座をたぐり寄せた。

10人からのスタートだった。新チーム初陣となった昨秋地区初戦はコロナ禍の影響で登録18人中8人がベンチ入りできず、10人で勝利した。全員が戻った東海大札幌との代表決定戦は、先発の森谷が3回7安打7失点降板。「自分のせいで負けた」。春の代表決定戦は飯田のソロ本塁打の1点しか取れず、北海にサヨナラ負け。投手も野手もぼろぼろだった。

同高史上最多99人の部員をまとめる浜野主将は「これ以上、下はない。自分たちは上がるしかないんだ」と全員を鼓舞。自身は帽子のつばの裏に「必笑」と記し、チームのもり立て役に徹した。この日は無安打も「打って貢献できなかったけど一番声を出そうと思った」と終始、右翼から声を飛ばした。試合後は仲間に「ありがとう」と伝え、涙を流した。

打撃重視で始まった現チーム。気付けばエース森谷が安定し、打線も5戦連続2ケタ安打と、投打かみ合っての甲子園切符だ。04、05年夏に駒大苫小牧の内野手として甲子園連覇を経験している五十嵐部長は「4年前に神宮大会に出た時の方がパンチのある打者はいたが、総合的な打撃のアベレージは今の方が上」。どん底からチーム一丸ではい上がってきた強さを、聖地で披露する。【永野高輔】

◆札幌大谷 1906年(明39)、私立北海女学校として創立。48年に中学校を開設し現校名になる。全校生徒数は887人(女子524人)。野球部は男女共学になった09年に創部。現部員は99人。男子サッカー、女子バレーボール、卓球、フェンシング部も全国レベル。主な卒業生は巨人・阿部剣友、里田まい(タレント)。所在地は札幌市東区北16東9。梅津義信校長。

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