明秀学園日立(茨城)が、悲願の夏の甲子園初出場を決めた。土浦日大との決勝で、9回2死二塁から佐藤光成外野手(3年)の劇的なサヨナラ2ランで勝利。センバツは2回出場しているが、夏は初めて。春夏連続での甲子園出場をつかんだ。

人さし指を青空に掲げたチームメートに、佐藤は囲まれた。「優勝したら、指を立てよう」と決めていたナンバーワンポーズを実行。「本当に気持ちよかったです」と話した。

2-2の9回2死二塁。打席に向かう前に、ベンチを振り返った。「代打かな?」。

4回戦鹿島学園戦で、守備の際にボールが右手薬指に当たり負傷。トレーナーから「(骨が)折れていると思う」と言われたが、痛み止めを飲んで出場してきた。しかし万全ではなく、この日も7回まで4打席凡退。代打も考えた金沢成奉監督(55)は、ベンチの選手の「光成に懸けましょう」という言葉を信じた。

カウント2-2から、低め直球138キロを左翼ポール際へ運んだ。高校通算18号は、初優勝へ導く2ラン。「自分が決めないといけないと思っていた」という決意がつながった。

野球部を辞めないで、よかった。1年秋、厳しい練習についていけず、実家の宮城に帰った。数日後、監督が地元を訪れた。携帯を差し出されると、電話の相手は監督の光星学院(現八戸学院光星)時代の教え子、巨人坂本だった。「監督は怖いけど、思いやりのある人だよ」。スターの言葉に、野球への熱が再び燃えた。そこからは、苦手なランニングからも逃げなくなった。「ずっと迷惑しかかけていなくて、チームと監督のために、いい結果につながってよかった」。甲子園でも、感謝の気持ちを込めてフルスイングする。【保坂恭子】

○…明秀学園日立のエース猪俣駿太投手(3年)が、復活の好投を見せた。新球種のカットボールがさえ、直球とのコンビで9奪三振。今大会は調子が悪かったが、状態がよかった昨秋の動画を見て、監督と話し合って調整。「心も体もしっかり準備できていた。失点しても、みんなが取ってくれると信じていた。甲子園で、監督を胴上げしたい」と聖地を見据えた。

◆明秀学園日立 1925年(大14)に助川裁縫女学校として開校された私立校。生徒数は933人(女子415人)。96年(平8)に現校名となり、共学化と同時に野球部を創部。部員数は105人(マネジャー3人)。甲子園出場は春2度、夏は初めて。主なOBはDeNA細川成也、巨人増田陸ら。日立市神峰町3の2の26。矢野正彦校長。