第2シードの県岐阜商が劇的なサヨナラ本塁打で帝京大可児に競り勝ち、甲子園出場を果たした。試合を決めたのは扇の要の一振りだった。

6-6の同点で迎えた延長11回、先頭の村瀬海斗捕手(3年)が打席に入った。「次の打者が投手だったので。自分がホームランを打つイメージで打席に入りました」。真ん中に入ってきた初球カットボールを強振。鋭く飛んだ打球は右翼ポールに激突すると、そのままスタンドへと落ちた。チームを2年連続30回目の甲子園出場へ導く値千金のサヨナラ弾だ。鍛治舎巧監督(71)は「文句なしです。バットを振ったら長打が打てるバッター。よく打ちました」と目を細めた。

指揮官の起用に応え続けた。村瀬が公式戦でスタメンマスクを被ったのは今大会から。昨秋の県大会は「背番号20」でベンチ入りもプレー中に負傷。今春は不振でメンバーから外れていた。同選手は「精神的にも技術的にも甘かったです」。それでも5月の練習試合でチャンスをつかむと、6月上旬に香川県で行われた高松商などとの招待試合で初めて「背番号2」を託された。「調子が上がってきていた」。今大会は初戦と4回戦で2年生の矢野航大(こうた)捕手にスタメンの座を譲った。しかし、指揮官の「打ち勝たないとダメだと思いなおした」という方針転換のもと、打撃力を買われて準々決勝から主戦に復帰。そして、決勝の舞台で自身公式戦初アーチを描いた。

今期の県岐阜商は最速147キロ右腕井上悠投手(3年)、最速145キロ右腕小西彩翔(あやと)投手投手(3年)ら多彩な投手陣を擁する。彼らを「持ち味を生かせるように」リードするのも捕手である村瀬の役割だ。

「岐阜県代表として情けないプレーがないように。持ち味の打ち勝つ野球をしたい」。目指してきた甲子園に、岐阜の名門が挑む。【清水駿斗】

◆県岐阜商 1904年(明37)創立の県立校。流通ビジネス科、情報処理科、会計システム科、国際コミュニケーション科がある。生徒数は1078人(女子558人)。野球部は1925年創部で部員88人(マネジャー6人)。甲子園出場は春30度で夏30度目。卒業生に元中日監督の高木守道、元中日和田一浩、女子マラソン高橋尚子ら。岐阜市則武新屋敷1816の6。村山義広校長。