奈良大会決勝で、勝った天理の中村良二監督(54)が涙にくれた。対戦相手の生駒に体調不良者が続出。圧勝で5年ぶりの夏切符をつかんだが、天理ナインは生駒を気遣い静かなゲームセットに。監督は相手を思い、教え子の心遣いに成長を感じ、男泣きした。

勝利目前の9回2死、天理内野陣が試合を止めた。タイムをかけ、主将の戸井零士内野手(3年)が「試合後はマウンドに集まらずに整列しよう」と呼び掛け、うなずき合った。最後の打者を三振に抑えたエース南沢佑音(ゆうと、3年)はこぶしを握っただけ。「周りのことも考えてやれるようになったなと。そういうところは成長したかなと」。監督の涙腺が緩んだ。

球場到着後、体調不良者の続出でメンバーの大幅変更を余儀なくされた生駒の異変を知った。複雑な気持ちを抑え「勝負事は手を抜く方が失礼。全力で戦えと話して試合に入りました」。初回に3点を奪い、4回には松本大和内野手(1年)の2ランなどで6点を追加。左翼に回っていたエースが9回、無失点継投を締めた。全力で戦い抜いた。

コロナ禍もあり、思うような練習ができずに臨んだセンバツは初戦で星稜(石川)に敗れた。万全の態勢で大一番を戦えなかった悔しさを知っている。閉会式後、中村監督は生駒サイドに提案した。互いが落ち着いた時点で、決勝に出られなかった3年生の練習試合を行いましょうと…。

その前に全国に挑む夏が待つ。南沢は「(喜ぶのは)甲子園でできたらいい。そういう思いもあったと思います」と主将戸井の気持ちをくんだ。振る舞いも甲子園の志も、王者にふさわしかった。【堀まどか】

◆天理 1900年(明33)に天理教校として発足した私立校。1908年に天理中となり、戦後の学制改革で天理となる。生徒数1253人(女子549人)。野球部は1901年創部で部員数77人。甲子園は春26度、夏は29度目。春1度、夏2度全国優勝。OBに元ダイエー門田博光、ロッテ中村奨吾ら。奈良県天理市杣之内町1260。竹森博志校長。