日大三の小倉全由監督(65)は9日午後、1年生から3年生の野球部員とマネジャー70人の前で、監督を退任することを明かした。小倉監督はずっと、最初にきちんと伝える相手は部員とマネジャーであるべきだと言ってきた。生徒が報道などで知る前に、しっかり自分の口から本当の気持ちを言いたかった。
午後3時半、スーツ姿の小倉監督は生徒の前に立った。マスクを外すと、ズバッと切り出した。
小倉監督 俺は今度の3月で監督をあがる。どこにも言ってないんだ。みんなには、はっきり言いたかった。この3学年の中で伝えたかった。
涙を見せる生徒は1人もいなかった。最後まで小倉監督の発言を黙って真剣に聞き入った。うすうす監督の決断がすぐそばに迫っていたことは生徒の誰しもが分かっていたことだ。しかし、本当に小倉監督の口から言われるまでは、どこか信じられなかった。
そんな生徒の思いを小倉監督は見ていた。
小倉監督 廊下ですれ違う時、何となく何かを感じているような気はしていました。でも、自分からは何も言ってきませんでした。ですから、しっかり、生徒にははっきり伝えないといけないと思っています。
秋季大会で敗れてからずっと、小倉監督はどのタイミングで生徒と向き合うか悩んできた。
そして出した結論は2月9日。1週間遅れれば2年生が修学旅行に出発する。引退した3年生の登校日も加味すると、2月上旬の木曜日しかなった。
小倉監督 自分は3年生が夏の決勝で東海大菅生に勝って甲子園を決めてくれたことへの思いも含めて、1年から3年までの生徒とマネジャーを集めて話をしたかったんです。
監督を退いた後の後任をどうするか、学校としっかり話し合いを進め、生徒が混乱しない引き継ぎの見通しが立ち、やっと迎えた節目の日となった。小倉監督らしく、生徒を第一に考えた引き際だった。
何よりも、自身の気持ちがすっきりしていたことが、この鮮やかな退任発表に結び付いた。昨年の師走。気持ちの整理がついたかのように、晴れ晴れとした顔で言った。
小倉監督 自分はこれまで2度解任されているんです。1度目は日大の学生だった時に日大三高のコーチをクビになり、2度目は関東第一で監督を解任されています。ですから、最後は自分で辞めることができることに、何の迷いもないんです。自分で決めてユニホームを脱げる、これは本当に恵まれたことだと思います。日大三高のこれまでの監督でも、自分で決めてユニホームを脱がれたのは、自分が知る限りでは以前ヤクルトの球団代表をされていた田口さん(周=いたる)だけだと記憶しています。伝統のある日大三で、こうして監督生活の最後を迎えることができて、自分は幸せなんだとつくづく思うんです。
これからは千葉の実家で敏子夫人と夫婦水入らずの日常が待っている。
小倉監督 庭の草むしりと、庭木の手入れですね。あとは、女房といろんなところに行きたいですね。自分は楽しみなんです。どんな毎日になるかなって。
時代は変わる。
小倉監督 私は寮に住み込みましたが、(公式戦期間中を除いて)1週間に1度は家に帰る時もありました。そんな時、当時独身だった三木に寮を任せてしまった。今思えば、三木に無理させてしまったし、そこまで自分が気を配ってやれなかったと反省しています。でも、これからは、三木監督、部長、白窪コーチのみんなで交代しながら生徒を見守るやり方もあると思うんです。それぞれの家庭を大切にしないと。自分は全部女房に任せっきりでした。それで野球に没頭できた自分は、本当に幸せでした。
最後に少しだけ奥歯に力を込めるようにして続けた。
小倉監督 残された自分の役目は三木がやりやすいように見守ることです。きちんと手続きを踏み、あとは三木に任せると決まったんです。周りが口を出さず、三木監督がやりたいようにしないといけないと思うんです。野球部のOB会では、自分が壁になります。
3月末まで、小倉監督がいる日大三野球部の風景は、かけがえのない日常生活を映し出す。【井上真】

