高校野球の広島商で選手、監督として全国制覇を果たした竹原(広島)の迫田穆成(さこだ・よしあき)監督が1日、病気のため死去した。84歳だった。

今秋まで指揮を執っていたが10月から体調を崩し、現在はグラウンドに出ていなかった。

広島商、如水館(広島)で計14度の甲子園に出場。19年から知人のつてで公立の竹原に移った。それまでの竹原は生徒数・部員数の確保に苦労。県1勝が目標というチームだったが、迫田監督の要望で寮を作り、今春は一気に24人が入部。秋の南部地区1年生大会で優勝を果たした。

同大会で迫田監督は指揮を執らなかったが、11月5日に更新した自身のYouTube「迫田監督野球チャンネル」で優勝の喜びを表していた。野球観や指導方針などを18分間にわたって語り「次は甲子園に出られるようなチームにしたい」と話していたが、これが最後の更新になった。

竹原の梶白博志校長(59)によると11月上旬までグラウンドに立っていた。「11月中旬にお話しした際は、選手のことや今後の練習試合のことなど、やる気満々の様子でした。体調を崩しているのはうかがっていましたが、その時は一切口にしませんでした。あれだけ立派な方なので、周囲に気を使わせないようにしていたのでしょう。監督を慕って入学してくれた生徒も多く、学校に活気が出ていました」と惜しんだ。

◆迫田穆成(さこた・よしあき)1939年(昭14)7月3日生まれ。広島市出身。現役時代は外野手。57年に広島商の主将として夏の甲子園優勝。67年に母校の監督に就任し、73年夏に甲子園制覇。75年に退任。93年から如水館(広島)の監督になり、春夏通算8度の甲子園に導いた。同校最高の8強に勝ち上がった11年夏が最後の甲子園になった。19年から竹原(広島)の監督。監督として甲子園通算14度出場で22勝。05年に高校日本代表の監督としてAAAアジア選手権優勝に導いた。