関東第一OBでプロ野球の日本ハムなどで活躍した田村藤夫氏(64)が、夏の甲子園大会で準優勝した母校への思いを語った。

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甲子園球場100周年の節目に、母校関東第一が決勝戦にいる。プロ野球では味わえなかった感激に包まれた。

勝たしてやりたかった、勝ってほしかった、いや、勝ちたかった。負け試合はいい試合とは言わない。これはプロの勝負の世界で生きてきた概念だ。

その想いは今も変わらないが、高校野球を見る時、必ず自分の高校時代がよみがえる。一生懸命だったが、今夏の後輩たちと比べると技術も、精神力も、団結力も、その全てがはるか上だ。その事実が心地よい。後輩が、栄えある甲子園大会決勝を戦う。見応えある試合に引き込まれた。

もうはるか昔だ。私が高校野球に没頭していたのは47年も前。千葉・白井市のグラウンドにフェンスはなく、寮もなかった。フェンス代わりは土手。その左翼の土手に向かって、一塁側のラインからダッシュを繰り返した。

最後の夏、部員は3年生が5人、2年生10人、1年生も10人ほど。30人に満たないチームで、練習は厳しく年間の休みは数日。平日は4~5時間。へとへとに疲れ切って帰宅する。

私が1年生の初夏、その年全国制覇する習志野と練習試合をして、延長まで0-0だった。習志野の投手は甲子園優勝投手になり、習志野二中の2年先輩だった小川淳司さん(現ヤクルトGM)だった。それだけが、私たちの心の支えだった。

必死に練習しても、東東京大会は8強で力尽きた。まだ甲子園への道は見えなかった。早実、修徳、二松学舎大付が強く、東の早実、西の桜美林という時代。帝京、日大三が頭角を現す前、関東第一は無名のほとんど知られていない存在だった。

それが、ここまで強くなった。試合を見れば理由は分かる。守りが抜群に強い。先日、OBの皆さんと話をして鉄壁守備網を作り上げた練習の一端を知った。

関東第一の守備練習は、シート打撃の形式で始まる。投手の半速球を打者はフルスイング。一見するとフリーバッティングだが、これは守備のための練習だった。

その理由をOBが米沢監督に聞くと「試合に即した強い打球を受けてこそ、打球判断も打球への入り方も鍛えられます」との答えが返ってきたそうだ。その発想に驚かされた。

試合と全く同じ強い打球が、関東第一の守りを磨き上げてきた、ということだ。私の代では考えられないやり方で、どこにも負けない守備力を、甲子園でもいかんなく発揮してくれた。

決勝の大舞台でも、関東第一の守りはすごかった。0-0で延長タイブレークまで京都国際を苦しめた。結局、決勝戦は両校タイムリーヒットはなかった。守り抜く野球で最後まで土にまみれたのは、関東第一の生きざまを見せてくれたと思う。

この夏の後輩たちの戦いを私は忘れない。関東第一野球部は私の誇りだ。(日刊スポーツ評論家)