<高校野球大分大会:杵築7-5藤蔭>◇26日◇決勝◇別大興産スタジアム

 杵築が初の甲子園切符をつかんだ。全員が地元から集まる県立校の「普通の選手」たち。藤蔭に1度は4点差をひっくり返されたが、全員野球で追いつき、8回に甲斐義也遊撃手(3年)の適時打で2点勝ち越した。

 最後の打者を打ち取った瞬間、杵築ナイン全員がマウンドに集まった。みんなで輪を作り人さし指を立てて、空に高く突き上げる。テレビで見ていたあこがれの場面を、自分たちで再現した。ベンチの前では阿部知巳監督(46)が男泣き。「本当にあの舞台に行けるんですね。まだ夢みたいです」と阿部監督は子どものように喜んだ。

 夏の大会5試合中4試合で2ケタ安打を記録した自慢の打線は決勝も14安打とさく裂した。3回までに4点をリードしたが4回、藤蔭の打者一巡の猛烈な追い上げで逆転された。それでも勝利をあきらめなかった。その裏、すぐに同点に追いつくと、8回裏1死から2連打と1四球で満塁とし、3番の主将、甲斐が勝ち越しの左前適時打。「この打席で自分が決めるしかないと思っていました」と、最高の仕事を振り返った。

 全国大会経験者も140キロ級の投手もいない県立校の普通の選手たち。強豪校に負けないパワーをつけようと、入学時から体づくりに励んだ。昼食はご飯2合を詰め込み、休み時間もおにぎりを食べた。

 毎日練習前に体重を量り「増量ランキング」をつける。さらにウエートリフティング部と一緒に週2回トレーニングを行い、選手の平均体重は1年のときから10キロ以上アップ。それが全員の鋭いスイングにつながった。

 阿部監督は「うちは140キロ出る投手はいないけど、140キロの投手なら打てます」と打撃に自信を持っている。

 地元の選手が集まり、杵築市から初の甲子園出場だ。「目標は日本一です」と甲斐はきっぱり宣言。全国の強豪相手に大暴れする。【前田泰子】

 ◆杵築

 1897年(明30)に大分尋常中学校杵築分校として創立。48年に県立高等女学校と合併して杵築となる。普通科のみで生徒数は718人(女子は341人)。野球部は48年創部で部員は53人。甲子園出場は春夏通じて初めて。主なOBにTBSの清原正博アナウンサーら。所在地は大分県杵築市本庄2379。岩尾英次校長。◆Vへの足跡◆2回戦5-0安心院3回戦11-2大分豊府準々決勝10-7大分西準決勝5-2情報科学決勝7-5藤蔭