<高校野球兵庫大会>◇30日◇決勝

 兵庫の古豪・関西学院が育英を4-1で破り、実に70年ぶりとなる出場を決めた。1-1で迎えた8回に3点を挙げて逃げ切った。25回大会(39年)以来7度目の出場、70年ぶりは夏の最長期間記録となる。

 関西学院すべてのOBの思いが4番高馬啓城(こうま・ひろくに)外野手(3年)のバットに乗り移ったのかもしれない。1-1の8回1死満塁、4球目の直球を無心で振った。フラフラと舞い上がった打球は右前にポトリと落ちる。勝ち越し点を泥くさく奪った。4-1。9年前のリベンジを果たし、戦後初の夏をつかんだ。ナインは抱き合い大声で叫び喜びを表した。高馬は「OBの皆さんが打たせてくれたのかもしれない。関学で野球がやれて本当に幸せ」と話した。

 戦前の関西学院には伝説の最強チームが存在したという。1918年(大7)に兵庫大会3連覇を果たしながら、全国大会は米騒動で中止された。46年(昭21)の兵庫決勝戦で芦屋中に0-4と敗れたときの選手だった古賀創三さん(80)は「戦前は米騒動のときの先輩の無念を晴らそうというのが、部の合言葉だったと伝え聞いた」とスタンドで振り返った。

 39年を最後に夏は全国大会から遠ざかった。広岡正信監督(55)は「野球部員が学校のソフトボール大会で三振するような弱い時代もあった」という。監督は4年前の健康診断で腎臓に異常が見つかり検査入院した。今も薬を服用しながら指揮を執る。「強くなるには日々の積み重ねしかない。OBもたくさん応援に来てくれた。そういうみんなの思いが勝たせてくれた」と目を潤ませた。

 ユニホームの色は当時と同じエンジと白。エンジは情熱、白は純白を表す。窪大介主将(3年)は「OBの期待を背負って甲子園でも優勝する」と宣言した。広岡監督も「全国でも弱くないと思う。普段着の野球をしたい」。70年ぶりの晴れ舞台で次に目指すのは、89年ぶりの夏制覇だ。