<高校野球宮城大会>◇30日◇決勝

 4年ぶりに東北がうれし涙を流した。4連覇を狙う宿敵・仙台育英に4-1で勝利。21度目の甲子園を決め、仙台育英が持つ宮城県記録に並んだ。エース佐藤朔弥(3年)が6安打1失点で完投。8回には2戦連発となるソロ本塁打を放ち、試合を決めた。昨年9月に部内暴力事件が発生し、6カ月間の対外試合禁止処分。センバツの選考材料となる秋季大会に出場できなかった。1度きりの甲子園挑戦を見事にものにした。

 おれが投げきる-。最終回直前、佐藤の右手人さし指、中指がつった。我妻敏監督(27)は「信也(高橋=3年)に託せ」と投手交代を指示。譲るもんか!

 と言わんばかりに、監督の言葉に無反応でマウンドに上がる。アクシデントに屈せず粘投。最後の打者を二ゴロに仕留めた瞬間、いつもクールな東北のエースが、大きく両拳を天に掲げ、涙した。

 バットでも勝利を引き寄せた。8回、2戦連発のソロ本塁打を左翼席に放り込んだ。「監督に『三振かホームランだな』と言われた。狙ってました」と佐藤。勝利を決定づける本塁打に、試合中にもかかわらず、ベンチは大泣きした。我妻監督は「本当に粘り強くやってくれた。あの子がこんなに成長してくれるとは…」と目を細めた。

 「ボールが持てなくてつらい…」。昨秋、普段は弱音を吐かない佐藤が母夕子さん(45)に電話で漏らした。昨年9月13日に発生した部内暴力事件により、同11月まで野球ができなかった。秋季県大会に出場できず、センバツ挑戦は消滅。チームはどん底を経験した。走者を背負うとイライラしがちだった佐藤も、この試練を機に生まれ変わった。「野球ができることがどれだけ幸せなことか」と実感。2戦連続で完投できる精神力を身につけた。

 6月末には悲しい出来事が起きた。最愛の祖母信子さん(享年75)が病気のため亡くなった。大会直前に精神的ショックを受けたが「感情を面に出さず我慢していた」と我妻監督。佐藤は「試合を見せたことなかったんで、甲子園でのマウンドを見せたかった」と祖母への思いも胸に、118球を投げきった。

 1度きりの甲子園挑戦に、我妻監督も「何度も折れそうになった」と振り返る。不祥事で引責辞任した五十嵐前監督の後を受け昨年11月、監督に就任。部員の気持ちを維持させるため、さまざまな対策を講じた。同校と同様に部内暴力で昨秋の大会を辞退した龍谷大平安(京都)が甲子園を決めた新聞を見せ、部員を勇気づけた。

 4年ぶりの甲子園を決め「応援してくれる先輩たちの前で勝てて良かった」と佐藤。「美談にするつもりはない」と話す我妻監督だが、不祥事のどん底からはい上がった東北ナインの笑顔は、格別だった。【三須一紀】

 ◆東北

 1894年(明27)創立の私立高。野球部は1904年創部。部員数は78人。甲子園に春18度、夏20度出場。2003年夏にダルビッシュ有(現日本ハム)を擁し準優勝。主なOB、OGは元横浜の佐々木主浩氏、ゴルフの宮里藍、フィギュアスケートの荒川静香ら。仙台市青葉区小松島4の3の1。五十嵐一弥校長。