1月中旬、エンゼルス大谷翔平投手(27)を育んだ原点に触れたく、彼の故郷・岩手県奥州市を探訪しました。

東北新幹線の最寄りとなる水沢江刺駅から外に出ると、あたり一面は真っ白な深雪に覆われていました。そんな中、まずは駅前にある奥州市伝統産業会館、通称「奥州南部鉄器館」を訪問。奥州市と言えば、平安時代から続く南部鉄器の一大産地として有名です。南部鉄器発祥地の歴史を伝える名品展示や鉄器造りの工程を紹介していますが、そこに大谷コーナーも併設していると聞き、入館しました。

エンゼルス大谷の展示コーナーがある「奥州市伝統産業会館」(撮影・福島良一)
エンゼルス大谷の展示コーナーがある「奥州市伝統産業会館」(撮影・福島良一)

入場料200円を払って館内に入ると、最初に大谷コーナーが目に入りました。一番の見所は2017年4月から設置しているという、南部鉄器の製造技法で制作した大谷の「握手像」です。当初は日本ハムカラーの青系統でしたが、現在はエンゼルスカラーの赤に変わっています。

「奥州市伝統産業会館」にあるエンゼルス大谷の展示コーナー。右は大谷の手をかたどった「握手像」(撮影・福島良一)
「奥州市伝統産業会館」にあるエンゼルス大谷の展示コーナー。右は大谷の手をかたどった「握手像」(撮影・福島良一)

その他に、大きなMVP受賞の垂れ幕や新聞記事などを紹介。本拠地エンゼルスタジアムで来場者に配布されて話題を呼んだ、「大谷顔まみれ」Tシャツや枕なども展示されていました。

「奥州市伝統産業会館」にあるエンゼルス大谷の展示コーナー(撮影・福島良一)
「奥州市伝統産業会館」にあるエンゼルス大谷の展示コーナー(撮影・福島良一)

そこから水沢駅方面へ国道397号線を歩き、北上川を渡り、左手に水沢競馬場を見ながらバイパスとの交差点を左へ曲がり、しばらくして交差する国道343号線を南方向へ歩くこと約1時間。遠くに大谷の母校、姉体小の校舎が見えてきました。

2017年訪問時の前回とは異なり、今回は一面の雪景色。また、週末で学校が休みということもあり、人影はなく閑散としていました。校舎には「頑張れ! 大谷先輩 僕らの希望」と書かれた横断幕が一際目立ち、正面入り口の左側には「世界一の二刀流 母校の誇り」という看板も掲げられていました。

エンゼルス大谷が6年間通った姉体小(撮影・福島良一)
エンゼルス大谷が6年間通った姉体小(撮影・福島良一)

その後、343号線を北方向に歩き、1時間足らずで水沢駅に到着。タクシーで国道4号線を北上し、車で約10分の距離にある金ケ崎大橋で降ろしてもらいました。橋の下を流れる胆沢川の河川敷には、大谷が少年時代に所属した「水沢リトルリーグ」の練習場所がありました。

小学2年生のときに入団し、本格的に野球を始めることになったグラウンド。当時からホームランを連発し、川まで打球を飛ばしたそうです。グラウンドは雪に覆われていましたが、何となくネットの位置で場所が分かりました。投打二刀流の原点を見る思いがしました。

胆沢川の河川敷にある、エンゼルス大谷が少年時代に所属した「水沢リトルリーグ」の練習場。グラウンド一面は雪で覆われていた(撮影・福島良一)
胆沢川の河川敷にある、エンゼルス大谷が少年時代に所属した「水沢リトルリーグ」の練習場。グラウンド一面は雪で覆われていた(撮影・福島良一)

最後は、水沢駅から1つ先の金ケ崎駅で盛岡行きの電車に乗りました。花巻東高時代の大谷は寮生活でしたが、自宅からの通学時にはこの電車で花巻駅まで通っていたそうです。車窓をながめながら、青春時代の思い出にも触れることができました。

昨年はア・リーグMVPはじめ、数々の賞を総ナメにするほど歴史的なシーズンを送り、地元での盛り上がりも肌で感じることができました。次回、奥州市を訪れる際には、大谷翔平という名前のルーツになった世界遺産の中尊寺、日本一のかやぶき屋根建築として有名な正法寺など、歴史遺産にも足を運びたいと思います。(この項おわり)【大リーグ研究家・福島良一】