アストロズ青木宣親外野手(35)が6月30日(日本時間1日)、ヤンキース戦で4-10の9回にプロ初登板を果たした。1回を1安打3失点、2四球で20球を投げた。日本人野手のメジャー登板は15年のイチロー(マーリンズ)以来。

 グラブを手に向かったのは、いつもの外野ではなくマウンドだった。エースを務めた日向高(宮崎)3年夏の準々決勝以来18年ぶり。「もちろんびっくりした。全く違うスタジアムに見えた。実際にこういう形で(機会が)巡ってきて、うれしかった」と素直に楽しんだ。

 最初はストライクが入らず、先頭から2者連続で四球。9番カーターへの2球目で見逃しストライクを奪ったものの、4球目を左中間への適時二塁打とされた。さらに犠飛と内野ゴロの間に失点。そして2死走者なしで、両リーグ最多27本塁打を放つなど打撃主要3部門でリーグ1位を争うジャッジを迎えた。

 201センチの体格を前に、青木は「2メートル50、3メートルくらいに見えた」とひるみながらも、真っ向勝負を挑んだ。「ちょっと力を入れた」と初球に空振りを奪うと、最後はこの日最速78マイル(約126キロ)で中飛に打ち取った。三塁側ベンチにいたヤ軍田中が「空振りを取ったのが一番びっくりした」と言うほどだった。場内から大きな歓声が上がり、苦笑いしながらベンチに引き揚げた。

 試合の大勢が決し、救援陣の疲労を軽減するための登板。起用を決めたヒンチ監督は「ブルペンが疲弊していて、投げさせるしかなかった。チームのことを考えてくれた」とねぎらった。青木自身は、メジャーで投げるのが「夢だった」という。家族が観戦する中、貴重な体験を積み「緊張した。とりあえず、ほっとしている」と胸をなで下ろした。

 ◆青木の投手歴 日向市立日知屋小に入学後、少年野球の全日知屋スポーツ少年団に入団。6年生の時に、投手として県大会優勝。富島中でも投手を務めたが、目立った成績は残せず。日向高では主に「3番・投手」。3年春はエースとして県大会優勝を果たしたが、夏の大会では準々決勝の鵬翔戦で本塁打を浴びるなど2-7で敗れた。

 ◆イチローのメジャー初登板VTR 15年10月4日、公式戦最終戦となったフィリーズ戦で、自ら志願して4点ビハインドの8回裏に登板。先頭ヘレラに二塁打を浴びると、1死を取ってからスウィーニーに適時二塁打。続く打者2人は打ち取り、初登板は18球を投げ、2安打1失点だった。最速89マイル(約143キロ)の速球、キレのあるスライダー、自ら「スプリットチェンジ」と呼ぶ決め球を駆使したが、「(球速は)最低90(約145キロ)、と思ってました。ショックですね」と不満顔。「メジャーリーグのマウンドに立つなんて、通常、あり得ないこと。その事実は、もちろん、思い出として残しますけど、2回目はいらないです。2度とピッチャーの悪口は言わないって誓いました」とイチロー節全開で振り返った。