MLBは28日(日本時間29日)、「ジャッキー・ロビンソン・デー」として全選手が初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」を背負ってプレーした。例年は4月15日に行われるが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期された。1945年の8月28日は、ロビンソンがブルックリン・ドジャース球団事務所で3時間に及ぶ入団へ向けた話し合いを行った日。野球界が人種差別の壁を破るきっかけとなった。不当な黒人銃撃事件が相次ぐ中での特別な1日。MLB担当記者の思いを送る。

   ◇   ◇   ◇

黒人に対する相次ぐ差別や社会の不正に抗議する目的で、メジャーでは26日に3試合、27日には7試合が延期された。ともに各球団の選手が話し合った結果だった。メッツのドミニク・スミスが涙ながらに会見を行ったのをはじめ、選手間では活発かつ感傷的な意見が交わされたという。

マリナーズ菊池は「涙をこぼす選手もいました。僕も日本人。チームは家族ですし、つらい時はサポートしたい」と今回の抗議行動への思いを語った。

自由と平等をうたう一方、米国には長年、人種差別が根強く存在してきた。大多数は報じられることも少なく、見過ごされてきた。だが、近年はSNS上の映像などで生々しい惨劇の実態が明らかになり、抗議の輪が全米中へ広がった。

声を上げるだけでなく、具体的な行動を起こさない限り現状は変わらない。カージナルスのデクスター・ファウラーは言った。「野球をやりたい。だが、野球より大きな何かがある」。黒人の養子2人を持つヤンキースのブーン監督は「この暗い時期を乗り越え、最後に我々はもっと良くなっていく」と涙を浮かべて言った。

今回のキッカケとなったNBAはじめ、MLB、女子テニス大坂なおみ選手らの抗議行動を、日本のスポーツ界に当てはめる必要はないだろう。だが、殺人予告を受けながらも屈することなく、勇敢にプレーしたロビンソンの存在なくして、ハンク・アーロンやバリー・ボンズはもちろん、野茂英雄、イチローら日本人がメジャーで活躍することはなかった。

メジャーの記者席からは、米国、中南米、日本、韓国、台湾など各国メディアが自国へニュースを届けている。メジャーには外国人枠がないことも、あらためて付記しておく。【四竈衛】

◆ジャッキー・ロビンソン 1919年1月31日、米国ジョージア州カイロ生まれ。UCLAでは野球、フットボール、バスケ、陸上の4種目で活躍も退学。陸軍に召集されるも、黒人差別を受けたこともあり除隊。45年ニグロリーグのカンザスシティー・モナークス入団。46年はドジャースのマイナーチームに加入し、3割4分9厘、40盗塁。47年4月15日、黒人初のメジャーリーガーとしてデビューし、盗塁王、新人王。49年首位打者、盗塁王、MVP。49~54年球宴出場。57年現役引退。62年野球殿堂入り。72年10月24日、心筋梗塞のため53歳で死去。同年42番がドジャースの永久欠番となり、97年から全球団の欠番に。04年4月15日、選手全員が42番を着ける「ジャッキー・ロビンソン・デー」が制定。現役時代は180センチ、88キロ。右投げ右打ち。