MLBは28日(日本時間29日)、「ジャッキー・ロビンソン・デー」として全選手が初の黒人選手ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」を背負ってプレーした。例年は4月15日に行われるが、新型コロナウイルス感染拡大の影響で延期された。1945年の8月28日は、ロビンソンがブルックリン・ドジャース球団事務所で3時間に及ぶ入団へ向けた話し合いを行った日。野球界が人種差別の壁を破るきっかけとなった。不当な黒人銃撃事件が相次ぐ中での特別な1日。MLB担当記者の思いを送る。

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8月28日は、公民権活動家のキング牧師が、1963年にワシントン大行進で有名な「I have a dream(私には夢がある)」の演説を行った記念日でもある。大行進は、公民権法の成立、人種差別撤廃のきっかけになった。ロビンソンもレイチェル夫人と参加していたという。

米国を中心に今、人種間の不平等を撲滅するための「BLM(ブラック・ライブ・マター)」運動が広がっている。ウィスコンシン州で警官による黒人男性銃撃事件が起き、スポーツ界では抗議の試合ボイコットが続出。スポーツは平和、平穏の象徴であり、今のこの事態は平穏ではないという示唆でもある。

ロビンソンという象徴がいるMLBは、特にBLM運動に積極的で、各球団に所属する黒人選手が声を上げ、球団も彼らの意思を尊重し、チーム内で十分話し合いボイコットを決めている。

筆者は米国の大学に留学していた経験があり、当時はワシントン大行進から30年もたっていない時期だった。ことあるごとにキング牧師について学び、演説を聴いた。法学の授業でも、ジャーナリズムの授業でも、どんな授業でもそうだった。これが米国社会で生きていく中で、重要な理念になるのだと痛感するくらい頻繁だった。ロビンソンを敬愛する米野球界が、この事態の中で何事もなかったように試合を行えるわけがないのは、理解できる。

ロビンソンの伝記映画「42」で本人役を演じた人気俳優、チャドウィック・ボーズマンさんが、このロビンソン・デーに43歳という若さでがんのため亡くなったというニュースが飛び込んできたのも、球界に特別な感情をもたらした。

「42」は、ロビンソンが活躍の裏で、初の黒人選手がチーム内で経験した同僚との微妙な距離感や交流なども描かれ、胸を打つ映画だ。【水次祥子】

◆ジャッキー・ロビンソン 1919年1月31日、米国ジョージア州カイロ生まれ。UCLAでは野球、フットボール、バスケ、陸上の4種目で活躍も退学。陸軍に召集されるも、黒人差別を受けたこともあり除隊。45年ニグロリーグのカンザスシティー・モナークス入団。46年はドジャースのマイナーチームに加入し、3割4分9厘、40盗塁。47年4月15日、黒人初のメジャーリーガーとしてデビューし、盗塁王、新人王。49年首位打者、盗塁王、MVP。49~54年球宴出場。57年現役引退。62年野球殿堂入り。72年10月24日、心筋梗塞のため53歳で死去。同年42番がドジャースの永久欠番となり、97年から全球団の欠番に。04年4月15日、選手全員が42番を着ける「ジャッキー・ロビンソン・デー」が制定。現役時代は180センチ、88キロ。右投げ右打ち。