エンゼルス大谷翔平投手(27)が、日本人最多のシーズン32号本塁打を放った。「2番DH」で出場したレッドソックス戦の5回、左腕ロドリゲスから右越えの決勝ソロ。04年に松井秀喜(ヤンキース)がマークした31本を抜き、日本人野手の最多記録を打ち立てた。本塁打キング独走で、シーズン60発ペースをキープ。球宴前に32本塁打と12盗塁以上は、史上初の快挙となった。

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同じ右投げ左打ちのスラッガーでもある松井と大谷には、類似点もあれば、相違点もある。米国へ移籍した全打者が苦労するのが、動く球、特に左打者の場合、外角へ沈むツーシームの対応に苦労する。移籍当時、松井が「ゴロキング」と呼ばれたのも、昨季の大谷が崩されたのも、その一端と言っていい。

だが、2人とも時間をかけてキッチリと適応した。たどった経路は異なるだろうが、軸足に体重を残す意識で振る「ステイバック」に行き着いた。日本の野球少年たちは、その多くが詰まることを避け、きれいな打球を打ち返そうと、体の前で球をさばく習慣が身につく。メジャーでその感覚で振ると、動く球を正確には捉えにくい。対応するためには、多少の詰まりは覚悟の上で、体のギリギリまで球を引きつける必要がある。その感覚を松井は「より長く球を見る」と表現した。本塁打後、一塁側から見た形が、漢字の「入」のようになるのは、2人の類似点だろう。

異なるのは、フォロースルーの大きさ。ミート後、比較的早く両腕をたたむ松井に対し、大谷はプロゴルファーの「ハイフィニッシュ」のように頭の上までグリップが上がる。リーチが長いこともあり、軌道がより大きく、怪物級の飛距離を生む要因と言える。

ともに左膝に故障を抱えていたこともあり、負担が大きい「ステイバック」の感覚を身につけるのは簡単ではなかったはず。巨人時代、人工芝の影響もあって膝を痛めた松井が健康体であれば、もっと量産したとも言われる。メジャーを代表する長距離砲となった大谷にとって、最大の敵は膝の故障かもしれない。【MLB担当=四竈衛】