【デンバー(米コロラド州)9日(日本時間10日)=四竈衛】パドレスのダルビッシュ有投手(36)が、メジャー通算100勝を達成した。ロッキーズ戦に先発し、6回途中4失点と苦しみながらも、打線の援護もあり、今季5勝目(4敗)を挙げて節目の数字に到達した。日本人選手では、通算123勝の野茂英雄以来、史上2人目。今後は、あと「7」と迫った日米通算200勝(NPB93勝)に挑むことになる。

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よわいを重ね、幾多の経験を経たダルビッシュは、節目の勝利後、少し照れるかのように言った。クラブハウス内では洗濯用のカートに乗せられ、冷たいビールを手荒くかけられて祝福された。「みんなに声をかけてもらって、監督さんにもおめでとうと言ってもらって…。メジャーで初めてビールシャワーをやってもらって、すごく寒かったですけど、うれしかったです」。地区優勝などチームの勝利ではなく、個人記録を祝うシャワー。計5発の援護を受けた白星に、心を込めて感謝の言葉をつないだ。

若かりし頃の「やんちゃな」イメージはない。かつては力でねじ伏せたいがために、自分主導の投球で屈強な強打者に挑み続けた。

今は違う。この日も試合前の全体練習中、静かなクラブハウス内には、ペンを片手にタブレットでデータを確認しながら、配球をメモする姿があった。打球が飛ぶことで知られる標高1600メートルのクアーズフィールド。序盤に援護を受けても、走者を置いての1発だけは絶対に禁物と意識して臨んだ。4失点はしたが本塁打は許さず、相手に試合の流れは渡さない。各打者の傾向を洗い出し、極力ミスを減らそうとする危機管理能力こそ、ダルビッシュが培った経験値のたまものだった。

今年2月には、6年総額1億800万ドル(約146億円)で契約を延長。42歳で迎える28年まで現役が保証される異例の待遇を手にした。WBC侍ジャパンの宮崎合宿も「特例」が認められてフル参加。調整法も完全に一任されるなど、絶大な信頼感を示すパ軍への恩義に応えないわけにはいかない。「やりたくなくなったら辞めます。これは自分の仕事。お金を頂いて、こういう環境で野球をさせてもらっているので、自分の出来る部分は、なるべく全力でしたいというのがあります」。

日米通算200勝まであと「7」。だが、無用な力みはない。「野茂さんって(米国通算)何勝でしたっけ? 123? じゃあ、また、あと100勝目指して頑張ります」。円熟味を増しても、ちゃめっ気たっぷりに笑うダルビッシュは心身ともに若々しかった。

◆ダルビッシュ有(ゆう)1986年(昭61)8月16日、大阪府羽曳野市生まれ。東北高2年春から4季連続甲子園に出場し、2年夏準優勝、3年春の熊本工戦でノーヒットノーラン達成。04年ドラフト1巡目で日本ハム入団。06年に12勝で日本一に貢献。最優秀防御率2度、最多奪三振3度、リーグMVP2度、07年沢村賞。08年北京五輪代表、09、23年WBCで世界一。11年オフにポスティングシステムでレンジャーズ移籍。13年最多奪三振、カブス時代の20年に日本選手初の最多勝。196センチ、100キロ。右投げ右打ち。妻はレスリング元世界女王の聖子さん。