<2006年4月5日付日刊スポーツ紙面>

 【シアトル(米ワシントン州)3日(日本時間4日)=四竈衛、浜崎孝宏、木崎英夫通信員】日本人初のメジャー捕手、マリナーズ城島健司(29)が、鮮烈な1発デビューを飾った。エンゼルスとの開幕戦に「7番・捕手」でフル出場。3点を追う5回に、昨季サイ・ヤング賞の先発右腕コローンから右越えに1号ソロを放ってみせた。惜しくも勝利には結びつかなかったものの、日本NO・1捕手の看板に偽りのないことを証明した。またイチロー外野手(32)は5打数1安打だった。

 支えてくれる人の期待にバットで応えた。ダイヤモンドを1周した城島が、ホーム上で天高く右手人さし指を突き上げた。「家族が(観客席の)どこで見ているかわからないし、嫁が喜んでくれると思ってベースを回った。家族に届けばいいと思って手を上げた」。メジャーの夢舞台で、ホークス11年間でも経験のない開幕アーチ。日本人初のメジャー捕手が、異国の地での開幕戦で「1号」を刻んだ。

 3点ビハインドで迎えた5回1死だった。昨年21勝のサイ・ヤング賞右腕、コローンにカウント2─2と追い込まれながらも、94マイル(約151キロ)の速球を右翼席に弾丸ライナーで運んだ。「うまく打てた。セーフコ(フィールド)で打てた本塁打が内容あるホームラン。手応えもあった」。プルヒッターの城島が反対方向への会心弾で、相手エースに強烈パンチを見舞った。この回、一気に追いつく号砲ともなった。

 スイートボックス席で城島の勇姿を見守った真紀夫人らは、渡米前よりちょっぴり白髪の増えた「大黒柱」に惜しみない拍手を送った。ベスト体重90キロが、キャンプ中に5キロ落ちた。慣れない英語でのコミュニケーション。チームメートに夕食に誘われ親交を深めたが〝外様〟の城島にとっては、真剣勝負の場でもあった。「オレがどんな人間か、みんなテストしているんだよ」。一日中、緊張の糸が張った状態。城島のユニホーム姿はダブダブだった。ピンチを耳にした真紀夫人は開幕前の渡米予定を約10日間繰り上げ、慣れ親しんだ料理でもてなし、開幕のグラウンドにはピチピチのユニホーム姿で送り出した。

 城島は言う。「僕にとって野球は楽しい仕事とは思えないですね。サラリーマンだって支える家族があるから満員電車に乗れるんでしょ。家族にいい暮らしをさせてあげたいから頑張れるんです」。この日、打席前には真紀夫人と長男、長女の頭文字「m・y・m」をバットの柄で筆記体で土になぞり、背中を押してもらった。

 敗戦にもかかわらず、球場内のメーンインタビュー室にはハーグローブ監督に引き続き、城島が指名された。会見を終えロッカー室に戻ってくると、城島のイスには記念の本塁打ボールが置かれており、そっとポケットにしまい込んだ。

 「いい試合をしても黒星がついたのは事実。胸を張って帰れるものではない」。同点で迎えた土壇場9回に、4番手プッツが2点適時打を浴び、城島に笑顔はなし。懸命のリードも、追撃弾も勝利に届かなかったものの、城島が、文句なしのロケットスタートを切った。

 城島の父昭司さんの夢が、29年目にして開花しようとしている。世界一の捕手を目指し、漫画「巨人の星」の星一徹ばりに息子に幼い頃から英才教育を施してきた。小学時代には軟式野球とともに、バランスのいい筋肉をつけるため中学時代まで水泳をやらせた。抜群の運動神経を持つ城島はバタフライを得意とし、小学時代には400メートル個人メドレーで県大会2位の実績を持つ。スイミング・スクールで五輪を目指す選抜コースへの誘いもあったが、断った。すべては野球の肉体をつくるためのプロセスだった。「オヤジには感謝してますよ。毎日、牛乳を1リットル飲めと言ってこんなに体を大きくしてくれた」と城島。長崎・佐世保市からスタンドに駆けつけた父昭司さんも、この日の活躍に「ここまで長かった。やっとここまで来た…」と感慨深げだった。

 ○…地元メディアは城島のデビューに及第点を与えた。英語がまだ万全でなくコミュニケーション難への不安からか、初本塁打よりもリードを含む守備面の動きを採点。走者を刺した4回の二塁送球を評価する一方で、モイヤーが城島のサインに2度首を振った3回の場面は「まだ経験が必要」とした。シアトル・ポストインテリジェンサー紙はモイヤーが「この瞬間をどのくらい待ったんだ?」と聞き、城島が「12年間」と答えた試合前ブルペンでの会話を紹介。同紙は「162試合で最初のゲーム。まだ結論は下せない」と今後のプレーぶりを見守るとした。

 ソフトバンク

 王監督も前ホークス城島の活躍に大喜びだった。マリナーズ城島のメジャー移籍第1号に「幸先いいスタートだね。コローンから打ったんだって。すごいね。何日か前に電話で話したときは、少しプレッシャーを感じている様子だったけど、本塁打が出てホッとしているんじゃないかな」。日本では早朝だったため、リアルタイムでのテレビ観戦はできなかったが、昨季まで11年間、ホークスに在籍したまな弟子の活躍に目を細めていた。(2006年4月5日付日刊スポーツ紙面から)