2カ月前は、暗闇の中でうつむいていた。2度目の下半身の張りで開幕1軍が絶望となった直後の4月、妻と2人の娘を台湾に戻らせた。理由は「こんな姿を見せたくなかったから」。3軍全体練習の輪から1人外れて、日の当たらない室内練習場で黙々とリハビリに打ち込む日々。ストレスばかりがたまり、オフの日は気づけば不要な買い物ばかりを繰り返していた。「俺、何のためにジャイアンツに来たんだろう」。持ち前の明るさと笑顔が消えていた。
台湾の家族とは毎日、電話で話をした。長女のリンリンを日本へ呼び、一緒にキッズ用ネイルをする時間に支えられた。「自分がしっかりプレーできるようになったら家族を日本に呼ぼうと決めていた。だから頑張れたんです」。マシン打撃の再開許可が出てからは600スイングを超えたこともあった。右手のひらのマメがつぶれても「思い切りプレーできたら、絶対に楽しいから」と、歯を食いしばって振り続けた。
必死の思いで復帰した直後だったから、15日の頭部死球後は珍しく激怒した。また離脱なんて考えたくもない。「今日も高めに来た時、残像があった」が、全力でプレーできる喜びがはるかに勝った。チームの上昇気配が心地良い。「みんなで楽しく野球をやれている。明日も勝ちたい」。移籍後最高のスマイルも飛び出した。【松本岳志】




