プロ野球阪急(現オリックス)の指揮を執り、日本シリーズ3連覇を果たした上田利治(うえだ・としはる)氏が80歳で死去したことが2日、分かった。関係者によると、最近は体調が優れなかったという。関西大時代、捕手として元阪神の故村山実氏とバッテリーを組んで黄金時代を築いた。74年に阪急監督に就任後、優れた統率力で常勝チームに変え、75年から3年連続で日本一に導いた。

 「ええで、ええで」と選手を褒めることでも有名だった名将が、静かにこの世を去った。選手としては目立った実績はなく、3年間で引退したが、指導者として才能を発揮した。

 62年、25歳という異例の若さでコーチに。米大リーグへの造詣も深く、鋭い野球頭脳で頭角を現していく。71年に阪急のコーチに就任した後、74年には監督に昇格。翌年悲願の日本一を達成し、77年まで日本シリーズ3連覇に導いた。「俺の力ではない。選手に恵まれた。山田、山口、福本、長池…」といつも満足そうに懐かしんでいた。

 78年、ヤクルトを相手にした日本シリーズは3勝3敗で第7戦を迎えた。この時、ヤクルト大杉勝男が左翼ポール際に放った大飛球が本塁打とされ、烈火のごとく怒った。抗議は延々と続き、シリーズ最長の1時間19分も食い下がった。結局判定は覆らず、4連覇を逃して辞任した。それから30年以上も「あれは絶対にファウル。それが認められるまでは死ねない」が口癖だった。無念の最期だったかもしれない。

 90年にオリックスの監督を勇退し、95年に日本ハムの監督に就任する。優勝には導けなかったものの「ビッグバン打線」を形成し、旋風を巻き起こした。監督通算20年。試合後は負けたときでもインタビューに潔く応じた。「勝ったときは選手に聞いてくれ。その代わり負けたときは俺が何でも話す。選手はそっとしておいてくれや」と堂々と受け答えした。03年に野球殿堂入りを果たした。