「守備職人」が、自らプロ野球人生に幕を引いた。日本ハム飯山裕志内野手(38)が、引退試合となったオリックス24回戦(札幌ドーム)に8回の守備から遊撃手で出場。9回2死、最後のアウトを自ら奪った。試合後には引退セレモニーで、両親、家族、ファンへ感謝の思いを伝えた。プロ20年。スーパーサブとしてチームを支え続けた職人が、惜しまれながらユニホームを脱いだ。

 野球の神様が「守備職人」に最高のラストシーンを用意していた。9回2死。最後の打球が、飯山に飛んだ。「多少は“持ってた”のかな。ありがたい。手が震えました」。スムーズな足さばきとストライク送球。自ら20年のプロ野球人生に幕を引いた。

 大歓声に迎えられたのは8回だった。終盤の守備固め。スペシャリストとして、札幌ドームの遊撃へ走った。積み上げた911試合の出場のうち、途中出場が769試合。引退試合のこの日も、栗山監督からのスタメン出場打診を断った。「いつもスタメンで出ないのに、スタメンっていうのは…」。それが、飯山裕志の生き方。「たいした成績も残せず、ここまでやってこられました」。だが出場時間は短くても、勝ちゲームの終盤に出ていく重圧と期待に応える安定感は、大記録とは違う輝きを放つ。この日の「裕志コール」が証明している。

 練習に一切の妥協はなく、誰よりも最後まで残って汗を流す。その姿勢は日本ハムファンにも浸透しているが、その裏で、体が悲鳴をあげていたことは、チーム内でも知る者は少ない。

 昨年も今年も、両太もものケガで満足にプレーできなかった。だが体が思うように動かなくなったのは、ここ1、2年の話ではない。練習前と試合中盤、飯山は必ずあるものを口にしてきた。本人が人気漫画「ドラゴンボール」の回復アイテムにたとえ「仙豆(せんず)」と呼ぶ小さな塊。その正体は、強い作用の痛み止め。肩、ひじ、腰…。体のあちこちが言うことを聞かなくなっていた。監督、コーチに知られれば、出場機会を失うかもしれない。だからトレーナー室にも寄りつかず、自分で病院に足を運び、こっそりと用意して服用を続けてきた。

 セレモニーのあいさつでは、両親、家族へ感謝を伝えた。「まずは休みたいですね」。酷使した体をいたわり、最愛の家族と濃密な時間を過ごす。だがはっきりと言う。「野球というすばらしいスポーツは、一生やめることはないかなと思います」。20年間をともに歩んだ、球団側の期待も大きい。吉村浩取締役チーム統轄本部長兼GM(53)は「(来季は)指導者として期待しています」と明言した。派手さはなくても、球界随一の堅実さと懸命さ。オンリーワンの存在として、野球への恩返しが待っている。【本間翼】