「今年の中日」には悲しい出来事があった。森繁和監督(63)はシーズン真っただ中の8月、最愛の長女麗華さんを乳がんのため35歳の若さで亡くした。監督1年目に見舞われた耐えがたい悲しみ。それでもタクトを握り続ける気丈な姿は、低迷する中日を1つにした。

 「ちょうどあっちにいたからな。久しぶりにゆっくりと過ごせたよ」。森監督はほぼ毎日、川崎市内の病院に通い詰めた。神様がくれたような日程に感謝していた。8月1日から横浜で3連戦。4日からは東京ドームで3連戦。2つはデーゲームだった。

 移動日の7日。「大丈夫かなと思って。『またな』って新幹線に乗ったんだ」。しばしの別れのはずが、永遠になった。名古屋に着く直前の車中で連絡を受け、引き返した。悲しい対面が待っていた。

 翌8日の広島戦前。ロッカー室に選手、スタッフ全員を集め、事実を公表した。「ユニホームを着て、一緒にやらせてほしい」。13日の通夜まで、本拠地で6試合。通常通りにタクトを握ると決めていた。

 迎えた横浜市での通夜。遠征帰りの2軍スタッフらが時間を縫って、数多く参列した。監督は斎場の2階でささやかな通夜振る舞いを開いた。その日、デーゲームを途中で抜けていた指揮官は努めて明るく、参列者をもてなした。森脇監督代行のもと、快勝した試合の話などが続いた。

 「帰らないでくれよ。俺を1人にしないでくれよ」。冗談めかして言ったが、それで誰もが監督の心中を知った。気丈な姿に、涙ぐむ関係者もいた。

 14日の葬儀でも涙はこぼさなかった。出棺の際、涙にくれる遺族の中にあって、足元を動き回る孫を笑顔であやした。多くの球界関係者や報道陣がいる前で、ナゴヤドームのベンチ内と同じように「監督」として踏ん張っていた。

 15日の横浜での試合前。バスで球場入りすると、報道陣に頭を下げた。いつものべらんめえ調ではない。「これでやっと試合に専念できるよ」とポツリと言った。悲しみが癒えるはずもない。吹っ切ろうとする覚悟を感じさせる一幕だった。

 悲運を1人背負っていた1週間。その間、監督の様子を注視していた球団関係者は「私らの前では本当に普通にしていた。弱ったところも見せなかった。まったく現場に影響するようなことはなかったのではないか」と感嘆した。

 悲報の時点で借金13の5位と苦しんでいた。だが、中日はあの1週間を4勝1敗1分けで戦った。「みんなが勝たせてくれた。感謝しかないよ」と笑みを浮かべた。ナインは監督の気持ちを知っている。故人と親交があった大島をはじめ、ナインは「監督のために」と団結した。鬼気迫る戦いぶりだった。確かに強かった。ただ…。盛り返すまでには至らない。葬儀のあとは反動のように6連敗を喫し、そのまま浮上できずにシーズンを終えた。

 森監督はこの秋、ドラフトで入団した選手たちに「俺を本当のオヤジだと思ってくれ」と伝えた。息子のような年齢の選手たちと心を1つにできるか。苦難を経験して迎える2年目。あの1週間のように全員で同じ方向を向ければ、6年ぶりのAクラス入りも近づくと思っている。【柏原誠】