「どすこい右腕」がやった。巨人山口俊投手(31)が中日12回戦(東京ドーム)でノーヒットノーランを達成。14年西武岸以来、史上79人目(通算90度目)、セ・リーグでは13年中日山井以来28人目(29度目)の快挙を成し遂げた。巨人では12年5月30日楽天戦の杉内以来。7回に大島に四球を出したものの、5三振1四球103球、打者28人の準完全試合を完成させた。山口俊の歴史的快投でチームの連敗は6で止まった。

 こみ上げるものは…、ない。山口俊が27個のアウトを駆け抜けた。9回。丁寧にマウンドをならし、自分だけの時間を満喫した。「プロに入ってから完全試合、ノーヒットノーランをやるのは夢だった」と、意識して堂々と狙いにいった。2死、中日大島。1-2と追い込むと、ボールを右手の人さし指と中指に挟んだ。フォークで体勢を崩させて平凡な一塁ゴロ。ベンチから一斉に飛び出してきたナインの輪に埋もれた。

 大歓声に呼び込まれ、お立ち台に上がった。目頭を押さえるしぐさは、真っ赤なうそだ。「泣かないよー!」と開口一番。爆笑を誘い「ありがとうございます。(前回20日広島戦で2回7失点KO負けの)マツダでふがいない投球だった。1人で投げ抜こうとマウンドに上がった。周りのおかげで、できた記録。本当に感謝です」とファンと一緒に喜びを分かち合った。

 1年前を忘れたことはない。昨年の7月18日、暴力トラブルが発覚した。当日は中日戦(ナゴヤドーム)の先発予定も、宿舎でのミーティング中に退室を指示された。自室に戻り球団から理由を説明され、すぐに帰京。当面の謹慎後に、1億円を超える罰金とシーズン終了までの対外試合禁止の処分を受けた。ことの重大さを痛感し、退団も頭をよぎった。「ここでプレーできるか分からなかった。できなければ、アメリカで野球をやろうかとも思いました」。猛省の日々は、孤独と不安との闘いだった。

 あれから1年。野球人として償い、真摯(しんし)に野球と向き合う姿は同僚と4万人を超えるファンに受け入れられた。「調子自体はそんなに良くなかった。でも小林がうまくリードで引き出してくれた」と女房役が息を合わせてくれた。7回先頭の大島を四球で歩かせ、唯一の走者を出した。完全試合が消え、なお1死三塁で平田の三ゴロにマギーの好守で本塁生還を阻止し「あそこのアウトで流れがあるなと。可能性がある。いけると思った」。

 男臭く、不器用で武骨な「どすこい右腕」が成し遂げた。昨年6月14日ソフトバンク戦で移籍後初登板初勝利を挙げ、人目をはばからず泣いた。この日のお立ち台で涙なき理由を「今年は開幕からやれている。その違い」と、しみじみ言った。まだ、戦いは続く。「とにかく1年間応援してくれているファンの皆さんに感謝したい。すごくうれしかった。歓喜の輪を優勝という形で味わいたい」。そのときは、顔をくしゃくしゃにして男泣きをする。【為田聡史】