ロッテ、日本ハムなどプロ野球5球団で選手、コーチとして活躍した山中潔氏(57)が、今季から北東北大学リーグのノースアジア大(秋田)監督として指揮を執っている。

ロッテのコーチ時代には、第1回WBCで優勝に貢献した里崎智也氏(42=日刊スポーツ評論家)らを育て上げた名指導者。高校時代にPL学園(大阪)で甲子園優勝、プロでも3度の日本一を経験した「優勝請負人」が、東北の地で新たな野球人生をスタートさせた。

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投球練習する選手に、山中新監督がさりげなく声をかける。押しつけは一切ない。それまで上ずっていたボールが、低めに決まり始める。選手もうれしそうな表情で自分の潜在能力に気付く。バッテリーコーチとしてロッテ里崎氏らを育てたやり方は、秋田に来ても変わらない。「1人1人顔も違えば身長、筋力も違う。これだけをやれなんてとても言えない。A、B、C、Dとやり方をたくさん示せるのがコーチの役割で、選ぶのは選手。やってみて合わなければ『じゃあ、他の方法を探そうよ』となればいい」と自らの指導法を説明した。

前身の秋田経法大時代にリーグ11度の優勝を誇るが、92年春を最後に優勝から遠ざかる。縁もゆかりもない土地からの誘いにも「この年でまたチャレンジできる。ワクワクした」と快諾。東京の自宅に家族を残し、広島時代以来となる寮生活で学生と寝食を共にする。「僕の話を聞いてもらうには、まずは相手の考えを聞いて認めるところから入らないといけない」と風呂にも一緒に入り、裸の付き合いでコミュニケーションをとっている。

里崎氏が新人の年、あえて自分からは教えなかった。2軍教育リーグ湘南戦で、1回裏にミスを連発し、2回表に代打を出された。それまで才能だけでやっていた里崎氏がようやく目を覚まし指導を仰いできた。チームのスローガンを「超積極的」としたのも、里崎氏同様、選手の自主性を尊重するからこそだ。「自分で決めたことは一生懸命やれる。自分で考えてないと、ここいちばんで自分のプレーができない」とその重要性を認める。そして選手には、「野球だけではなく人間力も向上させてほしい」と自らの体験を余すことなく伝える。例に挙げるなら、コーチとして接した2人。練習嫌いのイメージが強い新庄剛志氏(47)が実は誰よりも早く球場に来ており、小笠原道大氏(45=中日2軍監督)は深夜1時過ぎまで体のケアを行っていた。

20日開幕の春季リーグでは第1節で10連覇中の富士大(岩手)、第2節では八戸学院大(青森)といきなり2強と激突する。

山中監督 挑戦しがいがある。ひるむことなく全力でぶつかりたい。こんな雪深いところで野球をやると決めてきているんだから、選手は忍耐強いですよ。大きな舞台で活躍することは人生にとってプラスになる。やるからには優勝を目標に、精いっぱいサポートできればと思う。

日本一4度の経験者らしい説得力ある言葉で、新天地に懸ける思いを口にした。【野上伸悟】

◆山中潔(やまなか・きよし)1961年(昭36)10月29日生まれ、大阪・堺市出身。PL学園中からPL学園高に進み、2年夏の甲子園で優勝、3年春は準決勝で箕島に敗退。3年夏は大阪大会決勝で牛島、香川擁する浪商に敗れた。捕手として79年ドラフト4位で広島に入団し、ダイエー、中日、日本ハム、ロッテへ。広島では84年日本一、86年セ・リーグ制覇。引退後の97年からロッテ、日本ハム、ロッテ、韓国独立リーグの高陽ワンダーズでコーチを務め、日本ハム、ロッテで日本一。15年に東京国際大助監督、16年から18年まで監督。家族は夫人と1男1女。右投げ左打ち。178センチ、83キロ。