かつてプロの世界に挑戦した野球人にセカンドキャリアを聞く「ザ・インタビュー~元プロ野球選手たちのセカンドステージ」。今回は元近鉄投手で現在は理学療法士として「学校法人森ノ宮医療学園付属みどりの風クリニック」(大阪市東成区)に勤務する池上誠一氏(52)です。30代後半から難関と言われる国家試験に挑み、見事に資格を取得した池上氏の第2の人生に迫ります。【聞き手・安藤宏樹】

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-99年に横浜へ移籍したシーズンを最後に引退。最初に焼き鳥店を始められたとのこと。もともと計画していたのですか。

池上氏 何も考えていませんでしたし、何がしたいわけでもありませんでした。ただ、しばらくすると何かしないといけないと思いますよね。そんなとき近鉄時代によく行っていた焼き鳥店のイメージが浮かんできたのです。引退後に焼き鳥店を始めていたチームメートの話も聞き、やってみようと。思ったよりも大変でした。

-そこから理学療法士を目指すわけですが、きっかけは何だったのでしょう。

池上氏 店を始めて2年くらいたったころだったと思います。中学時代の仲間がつくった草野球チームに誘われまして。野球がしたくなっていたのでOKしたのですが、やっぱり肩が痛くて投げられない。そのときに僕みたいな野球人をつくってはダメだと思ったのです。どんな仕事がいいのかと探し始め、いろいろ調べたら「理学療法士」となったわけです。自分の体がどうなったから肩を痛めたのか。その仕組みを知りたいと。それが基本的な理由です。

-目標が決まったとはいえ、引退から2年を経過したころとなると35歳になろうかという時期です。さらに国家資格を取得するまでのハードルはかなり高い。迷いはなかったのですか。

池上氏 まず専門学校に入る必要がありました。その学校の入学試験に2回落ちました。次が最後と決めて臨んだ3回目で合格したのですが、4年間通って初めて国家試験を受ける資格ができるわけです。学校は夜間でしたので、入学するころに店はやめ、昼間はアルバイトをしました。勉強ですか。それまで聞いたこともない医学の専門用語から、その意味まで覚えることはヤマほどあります。40歳に近づき、頭になかなか入ってきませんでしたが、出来るだろうと思ってやるしかありませんでした(笑い)。実習がまた大変だったのですが、国家試験は1回で合格することができました。資格を取る際に近鉄時代のチームドクターがおられた病院に声をかけていただいたので、最初はそこでお世話になり、今の病院に移って13年になります。

-現役時代に故障したことがいまの仕事につながった。

池上氏 95年ごろから肘の違和感もあり、なかなか試合に使ってもらえなくなりました。何かを変えようとした97年に右肩が痛くなりました。98年に回復しつつあったので、近鉄コーチ時代にお世話になり、当時は横浜で監督をされていた権藤さんに取っていただいたのですが、キャンプが始まるとやはり肩がだめで。権藤さんの顔をつぶすわけにはいかないので、我慢して投げていましたが、キャンプが終わるころには今年で終わりだなと覚悟しました。肩を痛める以前にコーチから今の投げ方なら1軍枠に入れない、サイドハンドで投げろと言われ、ヤケになったことがありました。巨人のエースだった斎藤雅樹さんをイメージしろというわけです。それまで上から投げて1軍にいたのですから納得できません。だったらアンダースローでもいいでしょうと、自分で下から投げ始めたのです。そしたら当時アンダースローだった佐々木修さんがいろいろ丁寧に教えてくれたのです。その後、コーチが佐藤道郎さんに代わり「上に戻してもいいですか」というと「いいよ」と。そして佐藤さんもまた熱心に教えてくれる。そうか、ヤケになったらアカン。嫌なことや苦しいことがあっても落ち込まずに、常に前向きに頑張ることが大事やなんや、と気づいたのです。そのころの体験も理学療法士に挑戦、現在に至る教訓になっているのかな、と思います。

-理学療法士として多くの患者さんのリハビリを担当されているわけですが、いまの自分がもし現役時代の自分に何か伝えることができるとすれば…。

池上氏 トレーニング方法、投げ方や体の使い方、故障予防法など伝えたいことはたくさんあります。自分の場合は中継ぎが多かったので「いけるか」と言われると「いきます」と言い続けてきたのですが、いまの知識があれば断ることも必要だったかなと思います。試合に投げるよりもブルペンで投げる方が多かったので、とりわけケアが少なかったことも故障につながったのだと思います。試合ならアイシングとかしますけど、ブルペンで作るだけつくって登板しなかったときなどはまったくケアしませんでしたから。

-話題を少し変えます。現役時代の印象に残るゲームはありますか。

池上氏 94年8月4日のダイエー戦(藤井寺)ですね。この試合、先発したアボットは2人でその直前に同じタイミングで1軍に上がったのですが、彼も初登板。コーチからはいつでもいけるように最初から用意しておいてくれと言われていました。アボットが早々につかまり、1回2死から出番が回ってきました。最初の打者が売り出し中の小久保君。彼を三振にとって「いける」と思ったのを覚えています。いつ代えてくれるのか、そう思っていたら結局最後まで無失点で投げきり、チームは逆転して8連勝したゲームです。

-そこから自身は4勝をマーク。チームも一時は優勝争いした年ですね。さて、理学療法士となったことで野球との接点が再び生まれ、それが広がっているようです。母校(兵庫・滝川)の流れをくむ滝川第二高校や大阪工業大学でコーチとして指導。滝川第二は15年夏の甲子園に出場。大阪工業大学は近畿学生リーグで今春、実に66年、131季ぶりの優勝を飾りました。これからの夢などあればお願いします。

池上氏 元プロ野球選手で理学療法士でもあるということで、期待値が高く、プレッシャーはありますが、野球が本当に好きだということがわかりました。たぶん野球とは一生離れられないと思うので、将来的には資格を生かしつつ、どこかで監督ができればいいなあ、と最近はそんなことを考えるようになりました。やっぱり野球、好きですから。

◆池上誠一(いけうえ・こういち)1967年6月12日生まれ。兵庫県出身。滝川高から85年ドラフト4位で近鉄入団。99年横浜に移籍し、このシーズン限りで引退。プロ通算167試合に登板。14勝10敗1セーブ、防御率4・15。右投げ右打ち。引退後に理学療法士の資格を取得。現在は「みどりの風クリニック・リハビリテーション科」(大阪市東成区)に勤務。