永川劇場終幕。現役引退を表明していた広島永川勝浩投手(38)が現役最後の登板を果たした。04年10月10日横浜戦以来15年ぶりに先発し、中日1番大島にすべて真っすぐ勝負で一ゴロに打ち取った。地元広島出身の元守護神が、最後はまっさらな先発マウンドに上がり、17年のプロ野球人生に幕を下ろした。

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現役最後は、まっさらなマウンドで迎えた。永川が15年ぶり先発で、中日1番大島と向き合った。「今までで一番緊張しました」。追い込むまで封印していたフォークを投じることはなかったが、3球続けた直球で一ゴロに抑えた。反応良く一塁へベースカバーに入りアウトを確認すると、背負ってきた重圧や緊張感から解放され、満面の笑みを浮かべた。

プロ野球人生は抑えとして歩み始めた。「(当時)山本浩二監督にクローザーを任せていただいて、そういう道を作っていただいた。この17年間は、その最初のスタートがあったからこそ」。低迷期の中、セーブを積み重ねた。ただ、ピンチを招き、白星を消す試合もあった。本拠地でもブーイングを浴び、試合後もファンから罵声を浴びせられることもあった。それでも強靱(きょうじん)な肉体と精神力で、05年から5年連続で50試合以上に登板。07年から3年連続で30セーブ以上を記録した。

10年4月に内転筋を痛めたことは野球人生の転機となった。「あの段階で終わったんだろうなって。当時はそんなこと思わなかったですけど、今思えば、そこで終わっていたんだろうなと」。馬力を使った豪快な投球に大きな影を落とした。その後はケガとの戦い。13年は開幕直後に右中指けんしょう炎。17年は左膝痛を発症した。それでも昨年は1軍に復帰して22試合に登板。リーグ3連覇に貢献した。

最後は笑っていた。延長にもつれる展開も特別な時間が流れた。「声がかれながらすごくいい時間でした。真剣に戦っている中、良いか悪いか分かりませんが、楽しい気持ちでした」。これまでマウンドで見せてきた表情とは違う、優しい笑顔がベンチにあった。サヨナラ勝利という劇的な幕切れ、後輩たちからかけられたウオーターシャワーが、心地よかった。試合後のセレモニーでは支えてくれた家族の姿に思わず涙を見せたが「たくさん応援したので大量の汗が出た」と最後まで認めなかった。守護神を務めた右腕の最後の強がりだった。【前原淳】