ロッテの重光武雄オーナーが19日、老衰のために韓国・ソウル市内の病院で死去した。98歳だった。

韓国出身の同氏は、1948年(昭23)にロッテを創業。ガム、チョコレート、アイスクリームなどの販売で成功を収めた。69年に岸信介元首相の仲介で球界進出し、ロッテオリオンズ、現在の千葉ロッテマリーンズのオーナーを務めた。2015年にロッテホールディングスの名誉会長に就任。グループの不正経営をめぐり、19年には自身の実刑判決も確定した(健康上の理由で収監はされず)。18日に体調が急激に悪化。最期は家族がみとったという。葬儀は韓国で行われ、ロッテグループが後日「お別れの会」を行う予定。

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驚くロッテのCMがテレビに流れた。「ガムはロッテ、野球は巨人」。現役選手の長嶋茂雄氏が画面に登場した。東京オリオンズからロッテ・オリオンズに球団名が変わったのは69年。CMはロッテ球団がすでに存在する70年代中盤だった。

ロッテは70年パ・リーグを制し、日本シリーズで巨人と対戦。球団名はロッテも、今で言うネーミングライツ的なもので重光武雄氏はオーナーではなかった。日本シリーズでは1勝4敗で日本一を逃したが、重光氏は「このままロッテが強くなって、人気が出たら(やっかみで)ガムが売れなくなる」と心配していたという。CM誕生の秘話? 

逸話は事欠かないが「という」「らしい」がつく。74年球団オーナー就任後、オーナー会議にも球場にも姿を見せることは皆無。言動は多くの野球関係者の間では「都市伝説」で広がっている。千葉移転決断は初めて足を踏み入れた川崎球場のあまりの老朽ぶりにがくぜんとし、次男に球団運営を託したからだ、という。「野球よりサッカー好きで野球にのめり込んだら本業がおろそかになるから」ともらした、という。オーナー就任から10年以上たっての話。いい意味でも悪い意味でも「独裁者」に都合の悪い話は届かなかった。

「野球は巨人」CMには当時のロッテ金田正一監督が登場し「何、なに~」とぼやき、「ロッテのガムは一段とおいしくなりましたねえ」と言う長嶋氏に「分かるかねえかねえ~」と笑みを返した。その金田氏は21日、都内でしのぶ会が行われる。重光オーナーへの直撃取材時、本題に近づくと「日本語は難しい…」とかわされた。「野球は巨人」も「東京球場買収」「国内ロッテワールド建設」も“伝説”のままになった。【88、89年ロッテ担当=井元秀治】