「野村克也-野球=ゼロ」は、有名な“野村語録”だが、「野村克也-監督=ゼロ」も当てはまるのではないか。「監督・野村克也」に徹した野球人だった。野村氏が楽天の指揮をとった3年間を担当した。最後の09年は球団初のCS出場に導きながら、退任となった。激動の秋だった。

リーグ2位を決めた09年10月9日のことだ。試合後に、仙台の球団事務所で、当時の島田社長に退任のあいさつをした。球団関係者の話では「うちの嫁がうるさくてね」で始まる、丁寧な言葉のやりとりだったという。退任に納得できない沙知代夫人が、球団関係者に直接、あるいはメディアを通じ、不平不満を言うのを、夫として、申し訳なく思っていたことを率直に打ち明けた格好だった。

だが、その数分後、「監督・野村克也」に豹変(ひょうへん)した。会談を終え、事務所外の駐車場に現れると、監督留任を求めて球場外野席に残って叫ぶ、ファンのノムラコールが聞こえてきた。すると「楽天イーグルスは好きだけど、楽天球団は大嫌いだ」と報道陣に毒づいた。数分前までの紳士的な態度は完全に脱ぎ去った。メディアに出る際には、勝利に貪欲な、「ぼやき」の源泉である向上心に満ちた、勝負師としての「野村克也監督」の顔に自然となった。

ユニホームを着ていない野村氏は、孫を愛し、教え子を愛し、女性とのコミュニケーションを楽しむことを好む、愛嬌(あいきょう)たっぷりの好々爺(や)だった。酒場に同行する機会があった。野村氏は酒を飲まない。ホットコーヒーを片手に、楽しい席をご一緒させていただいた。しかも、支払いでは財布ごとポンと店員に投げ渡す。豪傑だった。

素顔はダンディーでおちゃめでも、球場では勝負師「野村克也」に徹した。それが野球人・野村克也のプライドだったのだろう。楽天監督時代は「もっとうまくなりたいという、向上心があるから、ボヤくんだ」と負けると悔しさをあらわにした。野球の可能性にも限界を作らず、創意工夫に意欲的だった。70歳を過ぎてなお「野球は、どう考えても頭でやるスポーツだ。野球は進化している。俺も、もっと勉強しないといけないな」と話していたのが忘れられない。【金子航】