元ヤクルト監督で野球評論家の古田敦也氏(54)が11日、視察に訪れたヤクルト2軍の宮崎・西都キャンプで野村克也氏を悼んだ。野球人、捕手としてのイロハから監督業に至るまで、あらゆることを教わった恩師。同氏の代名詞である「ID野球」の申し子が感謝を胸に、思い出を振り返った。

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古田氏は、しんみりと語り出した。「突然のことでね。テレビにも出られていましたし、お元気でとみていたので、驚きましたね」。野村氏と最後に顔を合わせたのは、1月21日に行われた金田正一さん(享年86)のお別れ会。話をする機会に恵まれなかった。

2人の関係は、簡単には言い表せない。

古田氏 9年間、ご一緒させていただいて。一からといいますかね、プロ野球とは何だとか、捕手としてのイロハも含めて。1年目の時に、野村監督もヤクルトに来られた。こうやって生き抜いていくんやとか、気持ちの入った言葉を頂いて。本当に公私にわたってお世話になりました。

ノムさんの教えが、今も深く根付いている。

古田氏 野球については細かい技術指導、時に厳しく、時に優しくね、本当に指導していただいたので今の自分がある。あれがなければ、自分もプロ野球で活躍できていませんし、今の僕があるのも野村監督のおかげだと思っています。

あふれる思いは止まらなかった。

古田氏 (どういう存在か)よく言われるんですけど、僕にとってみればやっぱり、監督なんですよね。教え子と言っていただければ本当にありがたいことで。当時、ID野球という名前でデータ重視というか、とにかく頭を使って、野球をやろうじゃないかと。野球っていうのは、頭を使えば強いヤツにも勝てるんだっていうね、そういう話をよくされましたね。

心に刻む言葉は幾多もある。

古田氏 「間のあるスポーツなので、その間に人っていろいろ考えるし、そこで心境の変化があるから駆け引きっていうのが生まれて、そこを勉強して事前に準備してやることが勝つことにつながるんだよ」と。「弱者の戦略」とか、よくご本人もおっしゃってましたけど。「ただ、何もしなくてがっぷり四つに組んだら負けるんで、そういう事前の準備を含めてやりなさい」という言葉、愛称がID野球という名前になった。それがベースでしたね。

負けず嫌いの男だった。

古田氏 理論ばっかりみたいな感じですけど、どちらかというと感情的な方。やっぱりよく怒って。プロ野球選手たるもの、そういう攻撃的な姿勢といいますか、積極的な姿勢、怒りとか、負けたくないという気持ちとかを持っていて当たり前なんだと。野村監督の根底には、そういう負けず嫌いの塊じゃないですか。ベースはそれですよ。

選手のことを思う優しい人でもあった。人格の中に、何重もの深い層をたたえていた。

古田氏 声を荒らげたりっていうのは、なかったです。僕たちの知らない言葉だったり、物事の神髄を突いている言葉だったり。若い僕らに向けてかみ砕いて毎日ミーティングしていただいて。大変な作業だったと思うんです。そのおかげで実際強くなりましたし、僕が言うのもあれですけど、弱小と言われていたチームが強くなって、信じて戦うっていうのが強くなって。成長できるって思いながらやっていました。

自身の監督時代も教えを守った。

古田氏 プライベートでご飯を食べに行くとかはなかったですね。僕が監督になったときの一番の教えは、選手と距離を置きなさいと。残念ながら監督というのは非情な決断をしないといけないですし、首にしなきゃいけないとかを、決断していかないといけない時がある。ある程度の一線は引きなさいというのが監督の教えだった。

ヤクルト2軍キャンプの取材を終えた古田氏は、空路で東京に向かった。「ひと目見たいな」と言い球場を後にした。【栗田尚樹】