各界のプロフェッショナルの子ども時代や競技との出会いなどに迫る「プロに聞く」。今回はDeNA三嶋一輝投手(30)です。小学時代はサッカーをプレーし、高校は一般受験で公立校へ。いわゆる野球エリートではなかった少年が、厳しくも温かい指導者らと接する中で心身共に成長し、プロへの扉を開きました。多くの経験を積んできて感じたこととは?(※この取材は2月に行いました)

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いつも外で遊び回っていた三嶋少年。父一彦さんは福岡大大濠で甲子園に出場した球児だったが、野球を強制されることはなかった。幼稚園の友達に誘われてサッカーを始め、ピアノのレッスンにも週1回通った。「好きなことをやれという感じでした。ピアノもみんなやるものだと思っていたくらい。ちょうネクタイして、コンクールとかにも出ていましたよ」と懐かしむ。

もちろん野球に興味はあった。小学校高学年になり父の話を聞くうちに「自分も父のようになりたい」と感じた。野球好きの祖父が喜んでくれたこともあり、地元の本岡中から本格的に野球を始める。「あんまりいい子じゃなかった(笑い)」という中学時代に出会ったのが、今でも付き合いのある赤池潤監督だ。毎日の朝練は30分間走で「めちゃ厳しかった」と振り返る。

三嶋 練習がすごく嫌いだったんですけど、厳しくもあたってくれたというか。私生活でもそうですけど、すごくぶつかって受け止めてくれましたね。

中学卒業時で身長165センチ。目立った実績はなく、強豪校への推薦はかなわなかった。地元の福岡工へ一般受験で進学。当初は三塁を希望したが、当時の森山博司監督に強肩を見込まれて投手となった。練習は厳しく、中学時代同様、とにかく走ったという。

三嶋 高校の監督さんも「走れ!」と僕に厳しく言ってくれる人でした。で、もちろんサボる(笑い)。それでもまた呼ばれて「とにかく走れ!」って言ってくれる。当時は「めんどくさいな」って思ったけど、今ではすごくよかったなと思えますよね。

厳しい指導者のもとで鍛えられたことが、飛躍への土台となった。

三嶋 高1の冬に、今のペイペイドームの下にある百道浜ですかね。そこをすごく走ったんですけど、それを越えてスピードがブワっと上がって。2年の冬を越えた時は、自分でも何か違うなと感じました。

入学時に125キロだった球速が最速147キロにアップ。3年春には九州大会で優勝し、一躍「プロ注目」の存在となった。その後、法大を経てプロに。順風満帆なエリート街道ではなかったが、すべてが無駄ではなかったという。

三嶋 ピアノもそうですけど、いろんなことをやっていてよかったなと。正直、野球を始めるのが早いか遅いかはあまり関係ないのかなと思います。逆に早く始めていたら性格上、長続きしなかったかもしれない。強制されなかったことも大きかったかな。親が言ったから始めたのと「自分から」野球をやりたいと思って始めるのは違うなと。

最後にプロを目指す子どもたちに助言を求めると「自分で探して考えること」の大切さを説いた。

三嶋 もっとガムシャラに、何でもいろんなことをやるのがいいのかな。今は理論や考え方がいろいろあって、携帯でSNSとかを調べれば、投げ方とかもすぐに分かる。でも、そうじゃなく自分で探してほしい。これがいいというのを自分で感じて、こうだったらこうしてみようとか、自分で考えてほしいです。メディア、情報にとらわれることなくね。便利だけど、それってオリジナルじゃないのかなと。やっぱり自分だけのものを見つけてほしいし、ガムシャラにいろんなことをやってほしい。別に野球だけではなくとも。「意味のないことなんてない」と思っているので。

回り道をしても、愚直に自分のやり方を見つけることが、夢への大きなステップとなる。【鈴木正章】

◆三嶋一輝(みしま・かずき)1990年(平2)5月7日、福岡県生まれ。福岡工では3年春に九州大会優勝。法大ではリーグ戦通算13勝8敗。4年秋に最多勝、最優秀防御率、ベストナインを獲得。12年ドラフト2位でDeNA入団。プロ2年目の14年に開幕投手。18年から中継ぎに専念し、昨季は自己最多の71試合に登板した。今季推定年俸8100万円。176センチ、80キロ。右投げ両打ち。