巨人岩隈久志投手(39)が、今季限りで現役引退する。

日米通算170勝。マリナーズ時代の15年にはノーヒットノーランを達成した。日本球界で最も高い制球力を誇る投手として、いかんなく投球術を発揮した。

穏やかな人柄にはマウンドさばきと同じくらいの魅力があった。16年、マリナーズ時代の岩隈を訪れた記者コラムを復刻する。(所属、年齢など当時)

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長そで1枚でも肌寒い。岩隈久志投手(35)と会った8月21日。カナダ国境に近いシアトルはもう、最低気温15度を下回っていた。「気候は北海道と同じくらいですかね。仙台よりも全然、涼しいです。シアトルは、もう秋って感じですよ」。マリナーズのロッカールームは元気がいい。若い選手たちの笑いが響く中、穏やかに座っていた。

最後に話したのは13年の春、アリゾナの野球場だった。侍ジャパンを激励にスタンド観戦していた岩隈を見つけた。「アメリカに来て5年目になります。早いですね」。静かな語りも楽天時代から何も変わっていない。

遅ればせながら「ノーヒットノーラン、おめでとう」と伝えた。昨年8月12日、本拠地セーフコフィールドで快挙を達成した。「まさかメジャーで、できるとは思っていなかったので。うれしかったんですよ」。コントロールはパワーを制する。困難とみられていたテーマを証明し、特別な投手になった。

田中との投げ合いを控えていた。その次はダルビッシュ。「良かったですね。いいタイミングで来ましたね」と、少し俯瞰(ふかん)したような表現を使った。正直に聞いた。

日本人メジャー同士の投げ合いを、どう考えている? もう珍しいことじゃないし、何度も聞かれて、煩わしくない?

「それは、ないですね」と強い口調で言われた。

「遠いアメリカで元気でやってます、という姿を、日本の方に伝えたい。勝ち負けはもちろん大事ですけど、日本人同士の時は、特に。僕だけじゃなくて、2人とも元気だから投げ合いができる。そんな気持ちがあります」

岩隈らしいと思った。「できれば」と付け加えた。

「『大変な環境の中で、頑張ってるんだな』と伝われば、一番うれしいですね。投げ合うことで、何かが伝わる投球ができればいいですね」

海を渡った12年は、先発枠を確保されていたわけではない。中継ぎからスタートして信頼を得て、寒暖差の激しい移動をこなし、中4日を淡々と積み重ねて地位を高めた。昨オフはドジャースとの契約を寸前で破棄されるも屈せず、今季マ軍で規定投球回(162)に達した。苦労が誰かに伝わって、誰かの勇気になれれば。控えめな主張に「らしさ」を感じた。

ロッカールームに向かう球場の壁には、病床の少年と笑顔で納まる岩隈の写真が飾ってあった。メジャー移籍の時、最大目標として「ロベルト・クレメンテ賞」の受賞を掲げている。「サイ・ヤング賞は投手としてもちろん目標だが、自分にとっては、クレメンテ賞が同じくらい大きな目標」と明かしている。規定投球回をクリアしたことでオプション(契約選択権)が自動更新され、早々と来季の残留を決めた。しなやかに振る腕には、渡米の時と変わらぬ志が詰まっている。【宮下敬至】

 

◆ロベルト・クレメンテ賞 71年創設当時の名称は「コミッショナー賞」。翌72年にロベルト・クレメンテ外野手(パイレーツ)が故郷プエルトリコからニカラグア地震の被災地へ救援物資を運搬する際、飛行機事故で亡くなり、73年から功績に敬意を表して名称変更された。慈善事業などの社会貢献で目覚ましい働きをした選手に贈られる。各球団から予備選考でノミネートされた30人の中から、選考委員会が1人を選出。