さらば平成の怪物、ありがとう松坂。西武松坂大輔投手(41)が引退試合に臨み、最後は四球を与えて終わった。99年から始まりプロ23年間で日米通算170勝。後半はケガに苦しめられ、栄光と挫折、頂点とどん底を味わった平成の怪物は、その伝説に幕を下ろした。衝撃のデビュー戦を間近で見ていた西武潮崎哲也編成ディレクター(52)が、当時を振り返った。古巣復帰後の苦悩も知る男は、マウンドを去る後輩にねぎらいの言葉を掛けた。

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鮮烈なデビューを見届け、台の上から跳び起きた。99年4月7日、東京ドームの日本ハム戦。翌日先発予定だった潮崎は、ベンチ裏でマッサージを受けていた。先頭井出への149キロ直球から幕を開けた怪物伝説。井出を見逃し三振、小笠原を投ゴロ、そして片岡を155キロの剛速球で空振り三振に打ち取る姿に、大歓声とは裏腹に一抹の不安を感じた。

「これ、初回から飛ばしすぎたら大輔がもたないなと思って、ひと言いいにいったんだよ。先輩として」。ベンチに顔を出し、18歳の松坂に声を掛けた。「大輔、そのペースじゃ9回もたねえぞ」。ただでさえ緊張感漂うデビュー戦。注目度も怪物級で13球投げ終えた疲労感はその数以上だと察した。しかし、かえってきた言葉も怪物級だった。

「シオさん大丈夫です、力入れて投げたのは最後の1球だけですから」

杞憂(きゆう)に終わり8回5安打9三振のプロ初勝利。「あ、そうなんだって(笑い)。スケールの大きさというか、器の違いを感じさせられたね。なんせ彼が放つオーラとかはプロで何十年もやっているような雰囲気もってたからね」。大勢のマスコミに追い掛けられた春季キャンプは卒業前の高校3年生。初ブルペンでは先輩投手らが鈴なりに見学したという。

デビューから数々の逸話とともにスターへ駆け上がる様を、すぐ近くで見てきた。一方で西武復帰後はリハビリに苦闘する姿を目にした。7月の引退発表数日前、直接連絡を受けた。「よく頑張ったねと言ったんだけどね。本当だったら日米200勝するべき人間。すごいところを知っている人ほどギャップを感じる。けがしてからの大輔の方が、よう頑張ってんなと思っていた。やっぱり有名選手、人気選手ってけがしたり力落ちてきたときって大変だと思うんだよ。批判もでるだろうし、そんな中で最後まで可能性を信じて努力する姿はすごいな、えらいなと感じてたから」。衝撃のデビューから8231日。かつての姿を重ね合わせ、ラスト登板を見届けた。【栗田成芳】