阪神密着コラム「虎になれ!」でおなじみの高原寿夫編集委員は95年のオリックス-ヤクルトの日本シリーズを“イチロー担当”として取材しました。26年ぶりに実現したこの対戦。「高原は見た」として、思い入れとともに語ります。

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「イチロー 奇跡起こせ 神戸に帰って来い!」。オリックスがヤクルトと戦った26年前の日本シリーズはいきなり3連敗を喫した。その3敗目となった95年10月24日の翌日、日刊スポーツ大阪版の1面はそんな見出しだった。

その第3戦は衝撃的な敗戦だった。同点で迎えた延長10回、抑えの平井正史が池山隆寛にサヨナラ3ランを被弾。がっくりマウンドを降りる平井に駆け寄って、文字通り、肩を抱いて慰めていたのが捕手・中嶋聡。現在の監督だ。

当時の指揮官・仰木彬はシリーズを通し、注目を浴びていたイチローを3戦目で初めて3番打者に起用。流れを変えようとした。それに応じてイチローも打点をマーク。「こうなったら自分たちの持っているものをすべて出し切るしかありませんね」。敗戦後にそう言った。

4戦目こそ勝ち、4連敗こそ逃れたものの、結局、1勝4敗でシリーズを終えた。その翌朝。始発の新幹線で神戸に帰るというイチローを取材するため、午前5時前から東京・浅草の宿舎ロビーで待っていたことを思い出す。

因縁とも言えるヤクルトとの頂上対決。オリックスとしては26年ぶりだがバファローズとしては01年以来、20年ぶりだ。そのときは梨田昌孝(現日刊スポーツ評論家)率いる近鉄バファローズが大阪ドーム(当時)の2戦目で勝ち、1勝1敗のタイで神宮に乗り込んだものの3連敗。95年同様、1勝4敗で苦杯をなめている。

そして今回である。初戦こそ、劇的なサヨナラ勝利を収めたオリックスだが2戦目から3連敗となった。先発投手陣は踏ん張っているものの打線にエンジンがかかるのが遅く、主導権を握れない。主軸打者もそれなりに打ってはいるが、どうもつながりが良くない。

この日は2回、そして8回と2つの併殺が響いた。両軍6安打のロースコアは競り負けだろう。追いついた直後、6回に登板した2番手・増井浩俊の2四球は痛かった。経験豊富なベテランだけに中嶋にすれば誤算だろう。

25日も負ければ4連敗で敗退が決まる。そして最近2度の対決同様「1勝4敗」での幕引きとなってしまう。「このまま終わってほしくないですね」。オリックス担当記者・真柴健も悲壮な表情だ。さあ第5戦。勝って“生きて”神戸に戻れるか。正念場だ。(敬称略)