野球殿堂博物館は1日、来年1月14日に発表される野球殿堂入りの候補者を発表し、選手としての功績を表彰するプレーヤー表彰では、日米通算203勝の黒田博樹氏(46)が新たな候補に加わった。

広島球団出身選手が殿堂入りとなれば、18年の金本知憲氏(53)以来となる。

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広島のレジェンドが、球界のレジェンドに仲間入りするかもしれない。野球殿堂博物館が発表した殿堂入り候補に、黒田氏が新たに加わった。低迷期の広島を支え、16年からの3連覇の礎を築いた。さらに米大リーグでの輝かしい実績もある。成績だけでなく、選手としての姿勢や人としての人格が、多くの人を引きつけた。

座右の銘とする漢詩の一節「耐雪梅花麗」(雪に耐えて梅花麗し)のように、プロ野球人生でも苦しい時期が続いた。97年に専大から逆指名で広島に入団したが、初の2桁勝利は5年目。そこから3年連続2桁勝利を挙げるなど、広島のエースへと駆け上がったが、チームは長くBクラスに低迷した。

07年オフにFA権を行使し、海を渡った。ドジャースでは1年目から2年続けて、リーグチャンピオンシップ出場に貢献した。翌10年から2年、12年に移籍したヤンキースでの3年を含め5年連続で2桁勝利。成績だけでなく、チームのために戦う姿で米大リーグ名門2球団で大黒柱となった。

15年に広島へ電撃復帰。8年ぶりの日本球界で、米国仕込みのツーシームを駆使し、大きな柱となった。16年は球団25年ぶり優勝の中心にいた。同年に引退も、黒田氏の日々の取り組み方や試合に臨む姿勢は後輩の生きた教材となり、18年までの3連覇につながった。引退から5年たっても、選手からは「黒田さんから学んだことを忘れちゃいけない」「黒田さんと新井さんが教えてくれたことを若手につなげないと」という声が聞こえてくる。大きな影響力は、今もチームに残る。広島で背負った背番号15は、球団の永久欠番。広島球団出身者では、18年金本氏以来の殿堂入りに期待が高まる。【前原淳】

◆黒田博樹(くろだ・ひろき)1975年(昭50)2月10日生まれ、大阪府出身。上宮-専大を経て96年広島を逆指名しドラフト2位で入団。07年オフにFAでドジャース入り。09年開幕勝利。12年にヤンキース移籍。15年に広島復帰し16年引退。背番号15は広島の永久欠番となった。父一博氏(故人)は南海などで外野手、内野手としてプレー。現役時代は185センチ、93キロ、右投げ右打ち。