ソフトバンクホークス元年の05年にドラフト1位で「1期生」として入団した江川智晃さん(35)は、現在故郷の三重県伊勢市で、豚の精肉業を営んでいる。
★「話が違うと思いましたけど…」
15年の現役生活後、20年にはスコアラーとして球団に残っていたが、母幸枝さん(65)の実家が経営する養豚場の仕事を支えたいと未知の世界へ飛び込んだ。
長い包丁で大きな豚肉の塊を鮮やかにさばいていく。白い作業着にマスク姿で江川氏は「はじめはへっぴり腰で、どこをどうやって切っていいかもわからず、めちゃ時間かかってましたよ」と笑う。
転職して、ちょうど1年。現役時代から変わらない優しい表情に、頼もしさが加わっていた。
怒濤(どとう)の1年間だった。
「あっという間。今までの人生で一番短かった」。
プロ15年間でレギュラーにはなれなかったが、誠実な人柄が評価されスコアラーとして球団に残っていた。
コロナ禍もあり、一昨年、両親と話をする機会も増えた。母幸枝さんの仕事が増え、大変な状況を知った。
母方の実家が営む養豚場「一志ピックファーム」は津市にあり車で片道1時間半かかる。
新しく精肉を小売りする計画を聞き「営業とかなら僕でも」と悩んだ末、20年12月にホークスを退団。大好きな福岡を離れた。
「話が違うと思いましたけど、やるしかないんで」と苦笑いをする江川氏を待っていたのは、昨年6月にオープンした精肉店「まるとも荒木田商店」の社長的役割だった。
「キャプテン」と呼ばれ、精肉作業だけでなく、スタッフの管理などすべてを任された――。
★豚肉加工の動画も見られる つづきは会員登録(無料)で読むことができます↓
まずは養豚場で1週間ほど、実際に豚と触れ合った。
扱っている豚の品種やエサの種類、どういうサイクルで育てているかを学んだ。その後は叔父の知り合いの精肉店で技を学んだ。肉の部位を学び、切り方、機械の扱い方などを勉強した。
「野球に例えるなら、まるでルールを知らないところからスタートしました。包丁も握ったことなかったし、学校の授業で彫刻刀を使ったらケガするくらい不器用なんですから」。
空いた時間もYouTubeなどの動画で豚肉のさばき方を見て、頭にたたき込んだ。
昨年5月には三重県食品衛生規則が定める「食品衛生責任者養成講習会」の修了証書も得た。6月のオープン時にはソフトバンク柳田や中村晃らからパチンコ店の開店時のような大きな花輪が届いた。
「ソフトバンクの江川って言っても、ほとんど知られてないんですよ」。
伊勢市では中日戦や阪神戦がテレビで放送され、ソフトバンク戦はほぼない。今でも地元では宇治山田商で高校通算33発のスターとしての方が認知されているという。
話題性もあり注文は多く入っても、技術が追いつかなかった。
予約した肉を約束の時間までに用意するためにはじめのうちは午前4時から、注文が多い日は午前2時30分から肉と格闘しないと追いつかなかった。肉の切り方を覚えてきた今は毎日午前8時ごろのスタートで間に合うようになった。
「ようやくキャッチボールができるくらいになった感じ。でも、まだ修行しに行ったところの人は僕の3倍くらいの数を同じ時間でさばく。ほんと、まだまだです」と、腕を上げる必要を痛感している。
妥協はしない。母や叔父が大事に育てた豚をいかにおいしく提供できるかが一番だ。
「うちは生肉を切っているんですよ。冷凍させて切れば形も崩れにくくて、もっとスムーズに切れるんですけどね。うちの豚は脂身が溶ける温度が低く、それがおいしさの秘訣(ひけつ)なので。肉屋泣かせの豚と言われてますけど」と、味を優先するために、より高度な技術が求められる方を選んだ。
通販も手がけ、福岡の元チームメートからも注文が入っている。
今季からソフトバンク3軍外野守備走塁コーチに就任した城所コーチは「このおいしさで、安すぎやろ」、柳田は「めちゃくちゃおいしいっす!」と絶賛だ。冷蔵だと5日間、切った後に急速冷凍したものだと1カ月は日持ちするという。
1年目の収入はプロ野球の現役時よりは低かった。実家暮らしのため、家賃などの負担は減ったが、プロ野球選手の時のようにダメなら自分だけ苦しめばいい立場ではない。社員2人、パート3人の仲間の生活も預かっている。
「22年は肉を切るよりも販路を拡大する年にしたい」と、精肉は従業員に任せ、自分は営業を強化し、稼ぐつもりだ。
現在は母方の祖父の家の庭にプレハブの精肉所をつくり、家の玄関にレジを置き販売している。だが、川沿いの車が1台しか通れない狭い道路に面した現在の場所では、客は寄り付きにくい。
「町中で新しい店を出そうと考えています」と攻めの姿勢を見せる。
自分の店だけでなく、取扱店を増やすのも江川氏の役目だ。電話で取引先と愛想良くハキハキと商談する。
その姿は、立派なビジネスマンだ。地道な営業活動の成果で、道の駅など取り扱いも増えている。学校給食など大口契約すれば一気に安定するが、そのためには牛や鶏も扱わなければ難しいという。
「僕は豚肉だけで勝負したい。養豚場から精肉まで、すべてのサイクルが見えるものを出すというスタイルは変えたくない」と、母や叔父が育てた豚を消費者に届けることこそが使命と考えている。
★「当たり前のような男にはならないように」
04年ダイエー最後のドラフト会議で1位指名された。05年、新生ソフトバンク1期生として入団。高卒で背番号「8」を与えられた。
だが、プロ15年間、1度もレギュラーに定着することはなかった。「若いころに結果を出していたら…。自分のせいですよ。レギュラーの景色は見えなかったけれど、いろんな経験をして成長できた。いい野球人生だったかなとは思います」。
プロ9年目の13年は自己最多77試合に出場し、キャリアハイの12本塁打を記録した。
「この年、打撃フォームを崩してでもいいから、直球だけを打とうとした。ヘッドを立たせて、右手をかぶせるようにしたら、伸びてくる直球は打てるようになったんです。でも、今度は変化球に対応できなくなって…」。
相手バッテリーが徹底して落ちる球で勝負してきた。打撃は崩され、翌14年からは、1軍での出場も減った。
「腐ることはいつでもできる。そんな当たり前のような男にはならないように生きたい」。
2軍暮らしが続いた江川氏を支えた言葉だ。14年7月にシーズン中のトレードでヤクルトから移籍してきた川島慶三(現楽天)からもらった言葉だった。
川島はこの時、故障もあり、2軍での起用方法も定まらない状況だった。
言葉通り腐らずプレーし、翌15年から就任した工藤監督のもとで、川島はベンチに欠かせない選手となった。
江川氏は「一生懸命やってたら、言い訳は出てこない。後輩は背中を見ていますから」と、今でもこの言葉を胸に刻む。
1軍では通算26本塁打。2軍では通算120本塁打と長打が魅力だった。
「プロ野球選手としては控えばかりでした。僕の代わりはたくさんいた。今度は豚肉でオンリーワンになりたいんです」と笑顔で語った。
「独身じゃなかったら、家族の生活を守るために、スコアラーを続けていたと思います。毎日、大変ですし、今でも福岡に帰りたいと思ったりしますよ」。
独身だったからこそ、荒波に飛び込む決心がついた。
プロでの最高年俸は2500万円だった。
「引退する前の2年間くらいは、筑後にも新幹線で通って、家から博多駅までは自転車やバスで通いました。若いころはバンバン、タクシー使っていたんですけど。普通の金銭感覚を覚えないとと思って」と、プロでの晩年に第2の人生を迎えるための準備を少しずつしていたのも誠実な江川氏らしい。
「プロでやってきたキャンプでの猛練習や(公式戦で)打席に立った緊張感に比べれば、なんてことない。打てなければ2軍落ち、戦力外という思いが常にあった。周囲から、プロ野球選手だったから、世間知らずでダメだったとは思われたくない」と、強い思いでバットを包丁に持ち替えた。
かつてのホークスのドラフト1位は、プロ15年の経験と仲間に支えられ、生まれ故郷で、新たな輝きを放っていた。【石橋隆雄】
◇ ◇ ◇
【アラカルト】
☆江川智晃(えがわ・ともあき)
【生年月日】 1986年(昭61)10月31日、三重県伊勢市生まれ
【プロ通算成績】345試合出場、780打数183安打(打率2割3分5厘)、26本塁打、99打点
【中学で優勝投手】二見中3年、全日本少年軟式野球野球大会で投手として全国制覇
【高校通算33本塁打】宇治山田商(三重)に進学。2年夏にエースとして甲子園出場。最速144キロの本格派右腕だった。高校通算本塁打は33本。
【04年ドラフト1位】ダイエーが04年ドラフト1位で指名。契約金8000万円、年俸800万円(金額は推定)。投手ではなく野手として指名。背番号は「8」。
【1日だけのダイエーユニホーム】05年から親会社がソフトバンクに変わるが、まだ球団名やユニホームなどが決まっていなかったことから04年12月8日の入団会見では1日限りのダイエーユニホームを着用した。江川さんは「ちゃんと今でも持ってますよ」としっかり保存している。
【プロ初安打は松坂】プロ2年目の06年5月5日西武戦(インボイス=現メットライフドーム)の2回、プロ初打席で松坂の147キロ直球を左前へ初安打
【プロ最後の本塁打も松坂から】19年8月14日のウエスタン・リーグ中日戦(タマホームスタジアム筑後)で松坂から左中間へ本塁打。江川さんは「松坂さんから打てた。もう本塁打は打てなくてもいいかなと思いました」。
【現在は少年野球の指導も】精肉店の定休日は毎週日曜だが、営業や精肉など休みはほぼない。だが、江川氏は空いた時間などで、近所の少年野球チームを教えている。「野球を伝えるのも大事な僕の役目だと思っている。これからも、できる限り教えていきたい」。
【元育成選手とコラボ】元ソフトバンク育成選手だった中原大樹氏(29)は、現在、福岡・糸島市でキクラゲを生産している。中原氏のアイデアで、江川氏がつくる豚肉と合わせ、ソーセージを作っている。人気商品となっている。
【父は家業終了】江川氏の父・一良さん(65)は「江川ビニール工業」として漁業の網や植木鉢の花を支える支柱などを作る仕事をしてきたが、江川氏が「定年です」と説明するように、65歳を迎え、店をたたむことを決めた。