野球漫画「ドカベン」「野球狂の詩」などで人気を集めた漫画家の水島新司さんが10日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。82歳だった。

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水島漫画「球道くん」の主人公と同姓で「球道」の愛称がついた元阪神投手の中西清起氏(59=日刊スポーツ評論家)は驚きを隠せなかった。「びっくりした。久しく表に出ていなかったから気にはしていましたが…。ご冥福をお祈りします」。4~5年前に酒席で会ったのが最後だったという。

背中を押してもらった。85年の阪神日本一には抑えとして貢献。強気の投球が持ち味で、相手が強いほど燃える中西球道のスタイルに影響されていた。「『球道』ということで、ずっとやらせてもらって。それで強い打者に向かっていく気持ちというのはありました」と感謝した。

78年2月。四国の南西端、高知・宿毛市の小筑紫中3年だった中西少年は授業中に突然、校長に呼ばれた。校長室に入ってみると、どこかで見た顔があった。「あ、ドカベンの人だ」と仰天した。前年に「球道くん」の連載が始まったばかり。水島さんは中西姓の剛腕がいると聞きつけ、訪問中だった南海のキャンプ地、高知・大方(おおがた)から会いに来たのだった。

「甲子園で会おう」と球道が描かれた色紙を渡された。約束通り、4回甲子園に出場。毎回、水島さんと再会し激励された。2年春の2回戦で「ドカベン」こと香川伸行がいた浪商(現大体大浪商)と対戦し「ドカベン対球道」とスポーツ新聞も1面で取り上げた。中西氏の登板はなくチームも敗れたが知名度が上がり、3年春に甲子園制覇。プロでも日本一になり、水島さんとの交流も続いた。会えば野球の話ばかり。現在も「球道」と呼ばれる中西氏は「寂しいよ」と、つぶやいた。【柏原誠】