巨人松田宣浩内野手(40)が今季限りでの現役引退することが27日、分かった。28日にも会見で正式表明される。
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本当に寂しい。願わくば、いつまでも現役でプレーして欲しかった。松田の頑張る姿に、元担当記者だった8歳上の私が、どれほど元気をもらったことか。本当にお疲れさまでした。12年にソフトバンク担当となって以来との付き合い。野球選手としてだけでなく、人間的な魅力にすっかり感化されて、今に至る。
とにかく面白く、サービス精神の塊だ。パフォーマンスにとどまらず、観客席の子供と試合前にキャッチボールしたり、ネタに困った記者のムチャぶり質問にも想像以上のコメントで返してくれる。昨オフ、ソフトバンク退団が決まった際には「2人でM-1でも出ましょか。(コンビ名は)『オオイケ・マツダ』でよろしいやん」と提案され、笑いが止まらなかった。
野球が大好き。プライベートは仕事から離れたいと頭を切り替える選手もいる中で、松田は逆だ。食事中も試合の反省や収穫をあれやこれやと語る。自宅でも同じく。元アナウンサーの妻恵理さんが「専門的なことを聞かれるので大変です…」と苦笑いしていたのを思い出す。通算301本塁打の長距離砲でも「狙ったホームランは1本もない。ヒットの延長がホームラン」と言い切る。
ソフトバンク時代の秋山監督が「びっくり箱」と呼んでいたように、意外性のある打撃が持ち味だった。誰も打てない投手に対し、松田の一振りで勝ったなんて試合がいくつもあった。人に流されず、周囲を盛り上げていくが、ひどく落ち込んでいた20年9月10日の夜は忘れられない
その日、連続試合出場がソフトバンク球団2位の「815」でストップした。「40歳まで続けることが目標」とずっと語っていたように、元気に試合に出続けることが昔からのモットー。さぞ悔しいに違いない。ねぎらいのメールを送るとすぐに電話がかかってきた。いたく沈んだ声は、いつもの彼ではなかった。
大事な支えを失ったような低いテンションに、こちらも動揺して、何を言えばいいか分からない。ただ励ますしかできなかった。30分近く話しただろうか。ようやく「また頑張りますわ」と、少しずつ前向きな言葉が戻ってきた。ただし、会話の中で、首脳陣の文句は一切言わなかった。成績が低迷する自分の責任と受け止めたのは潔かった。
元気印の「熱男」ながらちょっぴり人見知りの部分があり、以前は1人で映画鑑賞する趣味もあった。関西で試合があって滋賀の実家に立ち寄る際には、たびたびJR西日本の新快速を利用。「快適ですわ」と電車の旅も楽しんでいた。話のネタに困らない男だ。
もうずいぶん前に、引退後のやりたいことを聞くと「侍ジャパンの監督でしょ」と返ってきた。冗談か本気か分からない。でも代表経験が豊富で、他球団にも慕う後輩は多いだけに、モチベーターとして猛者を率いる姿はお似合いではないかと思っている。勝手な想像に過ぎないのだが。
私は球団担当はおろか、異動を受け取材現場も数年前に離れている。記者でない人間を受け入れる懐の深さで、今日まで糸はつながってきた。本当に感謝しかない。昨年末、私の趣味であるランニングの話題になり、松田も「ハーフマラソンを走ってみたかった」と2人で大会に出る計画をしていた。ユニホームを着ている間は実現できなかったが、いつか一緒に“熱い”走りがしたいと思っている。【12~14年ソフトバンク担当=大池和幸】