吉田義男さんの告別式が営まれた2月8日は、兵庫・西宮市にハラハラと雪が降り注いだ日だった。火葬された後で故人を供養する“骨上げ(こつあげ)”の儀式にも参列した。

親族の最後列に巡ってきたのは、ちょうど吉田さんが背負った永久欠番の23番目だった。ハシで骨壺に入れるのに、火葬場の係から骨の部位について説明を受けた。

最強の遊撃手といわれる吉田さんの骨を拾うことができたばかりか、私が拾ったのは、本人が大切にした、ごっつい「右上腕部」の骨だったから、その偶然に熱いものがこみ上げた。

特に守備へのこだわりが尋常ではなかった。篤子(とくこ)夫人は「グラブを足より下に置いたことがない」と話したように、必ず寝る際はユニホーム、帽子と一緒に床の間に飾った。

岡田さんがお別れの言葉で遺影に「守備で攻めろと言われたのは、吉田さんが初めてでした」と語りかけたように、突き指をしても守備を磨き上げるのは生きる術だったのだろう。

現役時代はゴールデングラブ賞は制定されていなかった。だが遊撃手で9度のベストナイン賞は最多だ。“今牛若丸”と称された守備の達人だったのは間違いなかった。

監督としても「センターラインを中心にした守りの野球」に徹した。春季キャンプから全員ノックで選手を絞り上げて日本一の頂点に立ったのは、吉田イズムというべき信念にブレがなかったからだろう。

「大げさにいうと、ノックは選手と1対1の勝負なんです。私にはノックバットを持つと相手の心理状態から体調からなんでも分かりましたわ。うまくなりたい選手、こっちのうまくなってほしいという気持ちが1つにならんとあきません。そこに信頼関係が築かれるんです」

小兵の吉田さんは球場入りする前、毎日近所の肉屋から150グラムのヒレ肉を取り寄せてステーキを食べて家を出た。篤子夫人が特製ニンニクしょうゆのタレをつけて焼いた。

打撃でも「ボールを打たないこと」とうるさく説いた。連続打席無三振の179打席は歴代4位。大柄な選手に勝つのに血のにじむ努力をした経験に裏打ちされた言葉だろう。

吉田さんが日刊スポーツ客員評論家として最後に執筆した記事には、阪神タイガースへの愛情がにじみ出ている。24年10月3日対DeNA戦(横浜)。それは岡田監督が退任するレギュラーシーズン最終戦の原稿だった。

阪神監督として采配した試合数1051試合は球団最多記録だ。「今のチームは可能性を秘めている」と評価しながら「でも組織が緩むと転がり落ちる」とも付け加えた。

そして最後は「ここからチームが熟すのは、監督の“器”にかかっている」と結んだ。虎を知り尽くし「阪神に人生をささげた」と言い残した功績は大きい。さらば牛若丸、ありがとう吉田さん…。【寺尾博和】