松竹時代にプロ野球初の1試合4本塁打を放つなど「神主打法」の異名で活躍した岩本義行氏(いわもと・よしゆき)が26日午前1時16分、急性心不全のため広島県三次市の特別養護老人ホームで死去した。96歳。広島県出身。自宅は広島県三次市三次町1306。葬儀・告別式は未定。

 岩本氏は旧制三次中(現三次高)、広陵中(現広陵高)から明大を経て、40年から南海でプレー。バットを胸の前に立てて構えるところから「神主打法」の異名を取った強打者だった。167センチ、71キロと小柄だが2リーグ分裂後の50年、松竹でセ・リーグ第1号本塁打を放った。同年は38歳で打率3割1分9厘、39本塁打、127打点をマークしリーグ優勝に貢献。翌51年8月1日の阪神戦では1試合4本塁打、18塁打のプロ野球記録を樹立した。

 1度は引退したが56年に東映の監督に就任すると選手も兼任。56年4月19日大映戦で44歳1カ月の最年長サヨナラ本塁打。57年8月18日の阪急戦では、45歳5カ月の最年長本塁打を放った。65、66年は近鉄の監督も務めた。通算成績は856試合に出場し打率2割7分5厘、123本塁打、487打点。81年に野球殿堂入りした。