西武が、前身の西鉄でエースとして活躍した稲尾和久氏(故人)の背番号「24」を、永久欠番にすることが27日、分かった。西武での永久欠番は球団史上初。歴代のユニホームを復刻するイベント「ライオンズ・クラシック」の一環として、7月上旬の試合で、監督、コーチ、選手全員が同氏が着用した西鉄時代の背番号「24」のユニホームでプレーする予定で、球界初の試みで同氏の功績をたたえる。

 「鉄腕」と評された稲尾氏の背番号「24」が、永久欠番として語り継がれる。かつて、西鉄時代に欠番になったことはあったが、西武球団としては史上初の永久欠番。西鉄のエースとして、シーズン日本最多タイの42勝、シーズン20連勝など、数々の記録を残してきた同氏の功績をたたえる。

 78年オフの球団買収で西武として新たなスタートを切ったのを機に、球団は西鉄時代のイメージを一新した。だが、西武球団創設30周年の08年に西鉄時代のユニホームを着用。09年からは、チームカラーが西鉄の黒と西武の青を合体させた「レジェンド・ブルー」が採用されるなど、王者と評された西鉄との歴史をつなぎ合わせた。そして、稲尾氏の生誕75周年を迎えた節目の今年、同氏の背番号を永久欠番にすることを決めたことが分かった。

 「神様・仏様・稲尾様」と呼ばれた伝説がある。58年の巨人との日本シリーズ。3連敗後に4連勝で日本一に輝いたが、その4勝全てが稲尾氏の白星だった。このシリーズ7試合中6試合に登板(5先発)。サヨナラ本塁打も放つなど、投打に大車輪の活躍を見せた。現在、チームは6勝12敗で最下位に沈むが、苦境の中、稲尾氏が見せたプロ根性は、今のチームにも通じる。

 球団側も、同氏の永久欠番を記念するイベントとして、一大プロジェクトを計画する。毎年、歴代のユニホームを復刻するイベント「ライオンズ・クラシック」を実施してきたが、今季は監督、コーチ、選手が、7月上旬の試合で、同氏が着用した西鉄時代の背番号「24」のユニホームでプレーする予定。メジャーでは、黒人初の大リーガー、ジャッキー・ロビンソンの背番号「42」を選手、コーチ、監督らが着用する「ジャッキー・ロビンソン・デー」が有名だが、日本球界では史上初の試みとなる。

 渡辺監督が「今年勝たなきゃ男じゃない」と意気込むように、チームは4年ぶりの日本一を狙う。56年から日本シリーズ3連覇を達成し、常勝軍団として名をはせた西鉄。その大エース、稲尾氏の背番号「24」のユニホームでグラウンドに立ち、稲尾イズムを継承する。

 ◆稲尾和久(いなお・かずひさ)1937年(昭12)6月10日、大分県生まれ。大分・別府緑ケ丘高から56年、西鉄に入団。エースとして69年の引退まで276勝137敗、通算防御率1・98、2574奪三振。「鉄腕」「神様、仏様、稲尾様」と言われ、一時代を築いた。主なタイトルはMVP2回、最多勝4回、最優秀防御率5回、ベストナイン5回。70~74年に西鉄・太平洋監督、78~80年に中日投手コーチ、84~86年ロッテ監督を歴任した。93年に競技者表彰で野球殿堂入り。07年11月13日に死去した。180センチ、98キロ。

 ◆永久欠番

 日本では沢村栄治投手(巨人)の14番と、黒沢俊夫外野手(同)の4番が47年7月9日に初の永久欠番として制定された。主に国鉄でプレーした金田正一投手は通算400勝の偉業を達成した巨人で34番が永久欠番になった。通算317勝を挙げた鈴木啓示投手の背番号1は近鉄で永久欠番になったが、球団が04年限りで消滅している。正式な永久欠番ではないが、ベンチ入り25人に次ぐ26番目の選手を意味するロッテの26番や、10人目の選手の意味で楽天の10番はファンの番号として空き番扱い。大リーグではヤンキースの「鉄人」ことルー・ゲーリッグの背番号4が、引退した39年に初めて永久欠番として表彰された。

 ◆「ジャッキー・ロビンソン・デー」

 47年4月15日にドジャースでデビューしたジャッキー・ロビンソン内野手の功績をたたえ、同選手の背番号42はデビュー50周年の97年に全30球団で永久欠番になった(それ以前からつけていたヤンキースのリベラだけ特例で使用中)。04年に4月15日を「ジャッキー・ロビンソン・デー」と制定し、09年から全球団で背番号42の着用を義務づけている。