中日の稲葉光雄2軍投手コーチ(63)が11日午後8時39分、脳内出血のため名古屋市内の病院で死去した。稲葉コーチはこの日、ナゴヤ球場で行われたウエスタン・リーグ広島戦に参加。試合中ネット裏で配球のチャートをつけていたところ突然体調を崩し、救急車で病院に緊急搬送された。

 遠征先の甲府で連絡を受けた佐藤球団代表は「運ばれる時はまだ意識があったと聞いている。でも手術はできない状態だったようです。それ以上の細かいことは伝わっていない」と沈痛な面持ちで話した。一部ナインはDeNA戦前に倒れたことを知っていたようで、稲葉コーチが亡くなった時間は試合中。急死の知らせに高木監督も「突然のことで何とも言えん」と言葉が出てこなかった。

 また、坂井球団社長は「現役のコーチがそういうことになるということは、我々としてもショック。体調が悪かったという話は聞いていない」と驚きを隠せず。後任については「まだそういう話にはなっていない」とコメントした。稲葉コーチは7月に心臓カテーテルの手術を受けて一時離脱。だが経過は順調で、検査通院以外は普段通りコーチ業を務めていたという。通夜や葬儀の日程は決まっていない。

 ◆稲葉光雄(いなば・みつお)1948年(昭23)10月2日、静岡県出身。清水工から日本軽金属に進み、70年ドラフト2位で中日入団。2年目の72年に20勝(11敗)。移籍した阪急1年目の77年に7割3分9厘(17勝6敗)で勝率1位のタイトルを獲得し、84年に阪神で引退。通算成績は331試合に登板し104勝80敗2セーブ、防御率3・44。引退後は中日、日本ハムでコーチを務め、09年に中日コーチに復帰していた。