決め手は甲子園-。福留孝介外野手(35)が25日、阪神入りすることを球団側に伝えた。争奪戦の渦中、口を閉ざしていた男がタテジマを選んだ理由、交渉中の心境を本紙に激白した。条件面ではわずかにDeNAが上だったが、最優先した条件はプレー環境だったこと。さらに交渉過程で誤報や臆測が飛び交ったことによる苦悩。そして、最後まで決断を待ってくれた両球団への感謝を口にした。

 福留が選んだのは阪神だった。これまで移籍先について堅く口を閉ざしてきた男が、争奪戦の終結とともに口を開いた。

 福留

 まず、ここまで僕の決断を待ってくれた阪神、DeNAの両球団に感謝したいです。移籍先を探す上で、前提としたのがメジャーを最優先にさせてもらうことでした。当初予定していたスケジュール通り、交渉を進めさせてもらい、それを待っていただいた。

 メジャーを除けば、国内では阪神とDeNAの一騎打ちとなった。プロならば、より条件のいい方を選ぶのが当然だが、最終決断する上で、金銭面以上に重要な要素があったという。

 福留

 本当にすごく悩みました。金銭面で選ぶのであれば、DeNAの方が少しだけいい条件を提示してくれていました。ただ、最後の決め手はやはり甲子園球場でプレーするということ。高校野球、社会人でプレーした関西、そして、甲子園でもう1度、やりたいという気持ちでした。

 実際に、金銭面ではわずかながら、DeNAの方が上まわっていたという。前日24日の夜まで悩み抜いた福留は、プロ野球選手として優勝すること、より自分にとって、いい環境でプレーすることを選んだ。中日時代、阪神としのぎを削った福留は、甲子園球場の天然芝、ファンの素晴らしい歓声、そして阪神というチームの強さ、たくましさが脳裏に焼き付いていた。

 福留

 選手としては勝ちたい、優勝したいという気持ちが一番強い。僕は移籍先を探すことになった時点で、これが最後の移籍になるという覚悟をしていました。僕が中日でプレーしていた時、阪神というチームはすごくいいチームでした。その中でともに優勝を目指したいと思ったんです。それに外野手として素晴らしい天然芝でプレーしたいという思いもありました。

 約3カ月に及ぶ争奪戦の交渉過程では、さまざまな情報が乱れ飛んだ。苦悩もあったという。

 福留

 僕は交渉をしている間は、交渉過程に関しては絶対に口を開かないようにしていました。ただ、残念だったのは事実とはかけ離れた報道をされてしまったことです。事実と違う金額を僕が両球団に要求しているという報道もありましたが、すごく驚きましたし、正直、戸惑いました。

 苦悩しながらも、野球人生最後の移籍先を決断した。今は周囲への感謝でいっぱいだという。

 福留

 本当に最後の最後まで僕の決断を待っていただいた阪神、DeNAの両球団に感謝しています。

 PL学園の主砲として甲子園を沸かせたスターが、中日で飛躍し、メジャーでの経験を積んで、再び甲子園で新たな戦いを始める。

 ◆阪神12年オフの補強

 ドラフト会議では1位で大阪桐蔭の藤浪、2位で光星学院の北條の指名に成功。メジャー帰りの日本人選手ではツインズを退団した西岡を獲得。2年4億円+出来高の条件(推定)を提示し、ロッテ、オリックスを振り切った。4番候補として、スイッチヒッターのコンラッド(前レイズ)と契約。またオリックスからFA宣言した日高を獲得し、捕手強化にも成功した。