プロ野球の統一球を飛びやすく変更しながら公表しなかった問題で、日本野球機構(NPB)が12日、東京・内幸町の事務局で「釈明会見」を開き、下田邦夫事務局長(59)が独断で変更していたと発表した。加藤良三コミッショナー(71)は、騒動について謝罪したものの「私は(問題が発覚した)昨日まで全く知らなかった。事前に知っていれば公表していた」と、自身の関与については完全否定した。下田事務局長は辞任を示唆した。

 会見の冒頭、加藤コミッショナーは統一球の仕様を変更していたことについて謝罪した。「私を含めボールの変更はないと説明してきたが、実際には(コルク芯を覆う)ゴムの成分に変化があった。選手の皆さま、球団の皆さま、関係各位におわび申し上げます」。ここまでは普通の謝罪会見だった。だが、その後は、驚くような釈明が続いた。

 理解に苦しむような食い違いだった。前日、下田事務局長は「コミッショナーには相談して進めていた」と、コミッショナーの了承を得ていたと明かした。しかし、加藤コミッショナーは「私は昨日まで全く知りませんでした。(下田事務局長から仕様を変更する)経緯、経過、説明を受けたという認識はありません」と、関与を真っ向から否定し、下田事務局長の独断だったと説明した。

 加藤コミッショナーは今季本塁打が増えたことについても「疑問はありませんでした。選手の能力に信頼を置いているし、工夫したというのもあるのだろうと思った」と話し「知っていれば公表していた」と繰り返した。結果的には組織のトップとして「ガバナンス(統治)」の問題を認めただけ。「批判には値すると思うが、隠蔽(いんぺい)ではない」「不祥事だとは思っていません」など、開き直りとも受け取れるような言葉を連発した。

 もう1つ不可解だったのは、井原事務局次長が公表した経緯と事実関係の説明。前日に報道陣に対して下田事務局長が発言した内容とは大違い。下田事務局長は、前日に発言した内容のほとんどを修正、または撤回する形となった。これについて、下田事務局長は「確かに昨日はそういう趣旨の発言をしたが、私も(記憶が)混乱していた。コミッショナーにご迷惑をかけた。すべて私の責任です」と、頭を下げ続けた。さらに、下田事務局長は進退について「コミッショナーの判断にお任せしますが、私の心の中では当然考えている」と、辞任を示唆した。

 一方で加藤コミッショナーが自らの進退に言及することはなかった。報道陣から何度も責任や進退について問われ「私の話も聞いていただきたいのですが」と、顔を紅潮させ語気を強める場面もあった。

 ◆加藤良三(かとう・りょうぞう)1941年(昭16)9月13日、埼玉県生まれ。幼少は両親の故郷の秋田県で過ごし、その後、東京在住。成蹊高から東京大学法学部に進み、65年4月に外務省入省。サンフランシスコ総領事、アジア局長、総合外交政策局長、外務審議官などを歴任し、01年9月から駐米大使。08年5月に帰国、同年7月1日付で第12代日本プロ野球組織コミッショナー就任。現在3期目で任期は14年夏のオーナー会議まで。