阪神林威助外野手(34)が来季戦力構想から外れていることが9月30日、明らかになった。解禁日の今日10月1日にも通告される。台湾出身のスラッガーは07年に15本塁打をマークしたが、08年以降は右肩負傷の影響などで調子を落としていた。今季はわずか1試合、1軍戦に出場しただけ。虎党からは「リンちゃん」の愛称で親しまれていた。若返りを図るチーム方針もあり、タテジマのユニホームを脱ぐ。

 豪快な弾道で甲子園にアーチを懸けた姿が消える。台湾出身のスラッガー林威助が阪神を退団することが判明した。12年以降は出場機会が激減。2軍でのプレーに甘んじ、今年は若手にチャンスを譲る形で代打要員だった。1軍でもわずか1試合に出場しただけ。8月4日巨人戦(東京ドーム)に「6番右翼」で先発出場したが4打数無安打。実力を発揮できず、2軍に逆戻りしていた。

 ある球団首脳は「打撃はいいが、外野手としての守備と走塁ができないということ」と説明。11年ドラフト1位で伊藤隼を獲得したほか、昨季途中にトレード入団した今成も非凡な打撃センスを示し、外野で活躍する。同じ左打ちの外野手が少しずつ育ってきていることもあり、34歳の林威助が来季戦力構想から外れた。

 台湾から福岡・柳川高に野球留学した林威助は02年ドラフト7巡目で阪神に入団。チーム屈指のスイングスピードを誇り、左打ちの大砲として期待された。06年にはかつて阪神の4番だった掛布雅之氏の背番号31を継承。67試合で打率3割3厘、5本塁打をマークし、頭角を現した。07年にはレギュラーとして115試合に出場し、自己最高の15本塁打を放つなど、才能が開花した。

 当時主力だった鉄人・金本氏に認められた存在だ。07年キャンプからキャッチボール相手に指名され、シーズン中も金本氏の愛称アニキにちなみ「LA砲」のフレーズが出たほどだ。今岡氏からもかわいがられて一流の教えを受けた。「リンちゃん」のニックネームでファンからも愛された。07年8月に右肩を負傷して手術。08年には左膝靱帯(じんたい)を痛めるなど度重なる故障に悩まされ、次第にパワフルな打撃が影を潜めた。桧山が引退を表明し、左の代打要員が不足する課題が解消されないなかでも戦力外と判断された。

 今年9月、鳴尾浜での残留練習。フリー打撃では右翼に柵越えを連発するなど長打力は健在だ。現役続行の意思も強い。台湾代表として06年、09年のWBCに出場した実力者だが、トライアウト参加を視野に入れ、国内他球団でのプレーを最優先に移籍先を探る。

 ◆林威助(リン・ウェイツゥ)1979年1月22日、台湾・台中市生まれ。高校2年時に福岡・柳川に野球留学。近大を経て02年ドラフト7巡目で阪神に入団した。04年アテネ五輪、06、09年WBCに台湾代表として出場。07年は115試合に出場し、打率2割9分2厘、15本塁打でブレークした。08年以降は右肩痛などの影響もあって出場機会を減らし、今季はここまで1試合出場にとどまっている。179センチ、81キロ。左投げ左打ち。