全日本プロレス四天王として一時代を築き13年に引退した田上明氏(57)が、4月16日の胃がんの全摘出手術後、久々にファンの前に姿を見せた。1日に同じく全日本で活躍した川田利明(54)がプロデュースするプロレス興行「FOLY WAR」新宿大会(新宿FACE)のトークバトルに登場した。

2人は、全日本で名コンビで知られたが、私生活でもお互いが経営する店に行き来するなど、大の仲良し。トークバトルは、茨城県つくば市でステーキ居酒屋を経営する田上氏のもとに、川田が直談判に行き実現した。2人の対決は、ぶっきらぼうな言葉の中に、お互いへの愛情があふれる、「30分1本勝負」だった。

先にリングインしたスーツ姿の川田がコーナーで屈伸運動をすると、田上氏は苦笑。「屈伸運動したら、後ろに倒れたよ。四股でも踏んでやろうかと思ったけど、やめといた」。終了後のインタビューで田上氏は笑いながら話した。

田上氏は玉麒麟のしこ名で大相撲の十両まで務めたが、プロレス転向。ジャイアント馬場とのタッグという破格の待遇でデビューした。その後、川田らの超世代軍に属したが鳴かず飛ばず。しかし、ジャンボ鶴田のパートナーに抜てきされたのが転機となり台頭。鶴田が病気となった後に、それまで敵対していた川田とタッグを結成。「聖鬼軍」を名乗り、世界タッグを最多の6度獲得するなど、一世を風靡(ふうび)した。

お互いのタッグについて田上氏は「気難しそうで最初はいやだった。組んでみたら、今までで一番信頼できるパートナー。組んでみたら、うまかったね。今はラーメンがうまいけど」と、川田が経営するラーメン店もしっかり宣伝。川田は「気が楽。(田上氏)に気にせず、自分が好きなことができた」と話した。

ジャイアント馬場死去後の00年に、三沢が小橋、田上氏らを連れて大量離脱。全日本に残った川田と、ノアの旗揚げに参加した田上氏は離れ離れになった。離脱直後には田上氏が川田に電話しノアへ誘ったという裏話も披露。「あの時に連絡あったのは田上さんだけ」と川田。断ったが、2人の親交は続いた。

13年12月の田上氏の引退試合には川田も参加。川田は「引退試合に行って、お疲れさまでした。今後はノアの社長として田上火山を大噴火させてください」と激励した話をすると、田上氏が「どんどん沈下していった。オレは社長は似合わない」と苦笑交じりに返す。ノア社長時代の苦悩も、2人はトークショーで笑い飛ばしてしまった。

胃の全摘手術を受けた田上氏は、かなりやせてしまっていた。「若いころは良きライバル、おっさんになったら良き飲み友だちだから」という田上氏に、川田は「いい飲み友だちとして、しっかり健康管理してタバコも止めてください」と心遣いを見せていた。98年4月、最後のシングル対決となった仙台大会で、左膝を負傷していた田上氏にあえて足四の字固めを見舞い、早々に試合を終わらせたように。

【桝田朗】(ニッカンスポーツ・コム/バトルコラム「リングにかける男たち」)