人気トップスターとなる「毒蛇」ランディ・オートン(42)が22年4月、WWEデビュー20周年を迎えた。4月25日のロウ大会では20周年を祝う記念式典も開催されるなど、WWEの第一線で活躍してきた功績を認められた。世界各国から実力者が集まるWWEで、一貫して活躍を続けるオートン。区切りイヤーを迎え、円熟味は増している。

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02年4月5日にWWEデビューしたオートンには、20年間活躍を続けられる秘訣(ひけつ)がある。元NFL戦士で現在はスマックダウンの解説者を務めるパット・マカフィーのインタビューでこう言った。

「キャリアの早い段階で、まるでブームのように何度かケガに見舞われ、理解しなければならないことがあった。長い間活躍するには、自分がどうやって戦っていくかを理解しなければならない」。

WWEデビュー直後の02~03年に肩などを負傷。度重なる長期の試合欠場を余儀なくされた。ここで、自らの「限界」を理解し、コンディションを整えながらファンに興味を持ってもらう存在になることを心掛けたという。当時は試合欠場中も大会には継続して登場し、他選手に絡みながら自らを売り出していた。

「自分の体で、何がどこまでできるかを知ること。わざわざ首を折る必要はない。毎晩、死と隣り合わせで戦うと、この業界で何十年も生き残ることはできない」。

デビュー後まもなくトリプルHがリック・フレアー、バティスタとのユニット「エボリューション」に加入した。トリプルHの後継者として迎えられたことが、人気スターへとかけあがるステップとなった。その良き先輩、理解者となるトリプルHから「WWEの頂点に立つのはごくわずか。20年間もできることではない。それをオートンがやってきたことを見守ることができて光栄だ」などとSNSを通じ、祝福された。するとオートンは「最初は少し辛抱してくれていたことは知っていました。あきらめないでくれてありがとう」とSNSで応じ、素直に感謝を伝えていた。

現在は元UFC戦士のリドルとロウ・タッグ王者として活躍中。現在42歳だが、10年以上は現役を続けるつもりでいる。「自分がリングでしていることが大好きで愛している。もっと長くやりたい。あと10~12年かな。サマースラム、レッスルマニアで大きな試合をするのが好きだよ」。

8日(日本時間9日)に控えるプレミアム・ライブイベント、レッスルマニア・バックラッシュ大会(米ロードアイランド州プロビデンス・ダンキンドーナッツ・センター)でも注目の試合が組まれた。タッグパートナーのリドル、元WWEヘビー級王者ドリュー・マッキンタイアと組み、WWEヘビー、ユニバーサル統一王者ローマン・レインズ、スマックダウン・タッグ王者ウーソズ(ジェイ、ジミーのウーソ兄弟)組との6人タッグ戦に出場。競争の激しいWWEでオートンはリングへの情熱を燃やし続ける。【藤中栄二】(ニッカンスポーツ・コム/連載「WWEの世界」)

◆ランディ・オートン 1980年4月1日、米テネシー州ノックスビル出身。祖父がボブ・オートン・シニア、父がボブ・オートン・ジュニアとプロレスラー一家。00年にプロデビューし、01年にWWF(現WWE)と契約。02年4月5日のスマックダウン大会でWWE初出場。04年8月、クリス・ベノワを下し、当時のWWE史上最年少24歳で世界ヘビー級王座を獲得し、当時は「レジェンド・キラー」の愛称だった。WWEヘビー級王座10回、世界へビー級王座4回、USヘビー級王座、インターコンチネンタル王座は各1回とシングル戦線で大活躍。現在の愛称はバイパー(毒蛇)。196センチ、114キロ。

エレベイテッドDDTも「毒蛇」ランディ・オートンの必殺技(C)2022 WWE, Inc. All Rights Reserved.
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必殺技RKOも健在の「毒蛇」ランディ・オートン(右)(C)2022 WWE, Inc. All Rights Reserved.
必殺技RKOも健在の「毒蛇」ランディ・オートン(右)(C)2022 WWE, Inc. All Rights Reserved.